
冒険の旅に出る
アルコール中毒者のぴなこです。アルコールを手放してから、自助グループへ通い、今日、飲まずに生きて23年に至るまでのところを、ざっとお話をしています。前回まで、社会に復帰しつつ自助グループに通い、3年ほど経ったところで一人暮らしを始めたところまで書きましたが、その続きをお話します。
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仕事クビで「そうだ、トロント行こう」
トロント行き。仕事がクビになったのが、たしか2004年の9月でした。国際コンベンションのツアーは2005年の6月末なので、半年ほどあります。1人暮らしの部屋を借りてしまったのに大丈夫かよと思ったんですけれども、「いいや、来年行っちゃおう」ということにしました。なんとかかんとか、短期の派遣の仕事で食いつなぐことにしたのです。
引き続き、昼働いて、夜、ミーティングや例会に走り回る生活を続けていたら、あっという間に時は過ぎ、2005年の6月末に、AAの仲間と一緒にトロントへ。この国際コンベンションの話もまた別のシリーズでお話をしたいと思うんですけど、非常にいい経験になりました。でっかいスタジアム…野球場とかサッカー場とかの。ああいうスタジアムにAAのメンバーが…そのときは5万人ぐらい…5万人か6万人の間ぐらいだったと思うんですけど、集まったんですよね。すごく圧巻で、感動しました。私は、自分自身が外国に出たことで、メンタルに何かまずいこととか、体調的な不安が出てきたら、ツアーが終わり次第、帰国しようと思っていました。でも、調子が悪くなるどころか、俄然、元気が出てきてしまいましたので、やっぱり、残ることにしました。
仲間たちが日本に帰った後は一人旅になります。ちなみに、お金はですね、当時、有り金をトラベラーズチェックに変えて、旅費に使いました。…トラベラーズチェックなんて、最近あんまり使う人少ないんじゃないかと思うんですけど…あと、シティバンクの口座に少しお金を残していましたので、そのお金が尽きるまで、旅を続けようと。
ツアーから離れたあとは、とりあえずトロントのバックパッカー宿に移って、二段ベットが並ぶ大部屋で西洋人のバックパッカーたちに紛れて過ごし、トロント市内のAAミーティングに通いました。私は英語が堪能なわけではなく、最低限のコミュニケーションができる程度。ミーティングでもメンバーが話している内容は理解できないことがほとんどでしたが、それでも、AAのミーティングに出れば、霊的なものというのは、分かち合えると感じました。
しばらく…1週間程度だったと思うのですが、そんなふうに過ごしていて「これからどうしようかな」と思ったんですよね。日本を出るとき、漠然と考えていたのは、トロントでしばらく過ごした後は、カナディアンロッキーへ行ってトレッキングをしようかな、ということでした。日本を出た時の格好がそもそもトレッキングシューズを履いて、ゴアテックスの上着を…トレッキングに行く気満々だったわけです。でも、トロントから一晩バスで南下すると、ニューヨークに着くので…ニューヨークというのは、AAのある意味メッカというか、世界的に見てもAAのミーティングが数多く開かれているところで有名なんです。GSOという、アメリカの、AAの本拠地というかサービスオフィスもあります。せっかくバスに一晩揺られれば、そういう場所に行けるので、とにかくいったん、ニューヨークに向かうことにしました。帰国したら「ニューヨークのミーティングに出た女としてブイブイ言わせられるぞ」と(笑)。
グレイハウンドのバスに乗って、ニューヨークに辿り着きました。朝、ニューヨークについてスパニッシュ・ハーレムの安いホテルに重たいバックパックを降ろしました。いきなり「A列車で行こう」だったわけです…その辺は別の機会に回します。ニューヨークでミーティング会場に通いはじめてまもなく、ひょんなきっかけから、AAの女性メンバーのルームメイトになり、まさしく「有り金が尽きるまでAAミーティングを回る」ことにしました。ニューヨークってすごく 住宅事情が厳しいところなので、アパートメントを割と簡単にシェアしちゃうんですよ。日本じゃあんまりそういうのないと思うんですけれど、自分のアパートに人、住まわせちゃうんですね。そこはAAメンバーのVの部屋で、日本風に言うと2DKくらいでしょうか…決して広いアパートメントじゃなかったんですけど、そこに転がり込んで、2畳くらいで、ロフトが付いている、ドアがない部屋に月400ドルという値段で住ませてもらい、2ヶ月半くらいの間、ずっとニューヨークのミーティングに通うことができました。
帰国するときは名残惜しかったんですけど、文字通り有り金が尽きたので仕方ありません。アメリカでたくさんのことを学んで、「さあ、また日本に帰ってAAメンバーとしてやっていこう!」というふうに思いつつ帰ったんですけれども、日本のミーティングに出てみると…すごいがっかりしちゃったっていうか、嫌になっちゃったんですね、あんなに好きだったミーティングが。みんな、いつまでたっても同じような話ばっかりして、全然回復してないじゃないか、と。当時は、ニューヨークのミーティングを回ったあとだったので、そんなふうに感じました。AAのプログラムでいうと、ステップ1的なところ、自分はこういうふうに飲んで、こうだった…みたいな、そういう話ばっかりだなって思えて。そこからどうやって、回復して、今、どうなっているのか…自分の人生がどうよくなったのかって話をする人がもうあんまりいないんじゃないか、と。
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この冒険譚については、帰国まもなく機関誌に掲載された下記記事もぜひお読みください。
AA 70周年国際記念集会に参加して ―― 2005年9月 ――
AA武者修行in ニューヨーク ~ハイヤー・パワーに導かれて~