
社会の中で「今日一日」
アルコール中毒者のぴなこです。アルコールを手放してから、自助グループへ通い、今日、飲まずに生きて23年に至るまでのところを、ざっとお話をしています。前回はアルコールデイケアを卒業してから少しずつ社会に出たところまで書きましたが、その続きをお話します。
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一歩ずつ社会に踏み出す(2)
そのときに勤めていたコールセンターは、数か月ごとの自動継続でやっていて、1年半ちょっとぐらい続けました。そこはいったん辞めたのですが…その頃になってくると、 ちょっと…あまりよく覚えてないんですけれども、メンタルに調子があんまりよくなくなってきてしまっていて、 特に何があったっていうことではないんですけれども、お酒が止まって、自分の生活を軌道に乗せて…そこでなんかちょっと疲れが出たっていうのか、気の緩みみたいのが出たんじゃないかなと思います。少し休みがちになったのか…よく覚えてないんですけれど、いったん、少し休ませてもらったものの、いつ復帰できるかわからなかったので、やはり辞めさせてもらうことにしました。通算、2年までいなかったんですけど、1年半と少しの間ぐらいいたんじゃないかと思います。
その後、とりあえず、契約期間がありつつ、かつ、できるだけ長く雇ってもらえるような仕事を探しました。やっぱり、自分のやることは、 自助グループに通って、飲まない生活をそのまま軌道に乗せることだと思ったので、派遣会社通して仕事に就きました。当時は、派遣社員で長期の仕事、というのは、3か月ごとに契約更新を繰り返す、ということが多かったと思います。
ある時、契約更新してもらえるはずだったのが、派遣先の会社が事業を別の会社に譲渡するという理由で、そこに入っていた派遣社員が全員契約終了になりました。それで、別の会社を紹介してもらって、長期前提で入れることになったんです。その頃、飲まなくなって、3年 目ぐらい。AAでいうと3年のバースデー、断酒会的に言うと、3段表彰の少し前くらいのころです。3年、断酒が続いた、というのは、ひとつの区切りと感じましたし、当面仕事もありそうだし、少し手元にお金も貯まりましたので、実家を出て、1人暮らししたいと強く思うようになりました。
当時、私は、AAの荒川グループというところに入っていまして、南千住とか、尾久とか、あの辺りに、ミーティングの会場がありました。あと、メッセージ…AAの活動として、いろんなところに、自分たちが飲まないためにやるプログラムを伝えに行くっていうのを「メッセージ」と言います…そのメッセージ先がその界隈に何か所かありました。「メッセージ」は端折って説明しますと、基本的には体験談をしに行くんですね。そうした理由から、自分の住まいをAAの活動の拠点近くに移したいという思いが強くなりました。体力的にも楽ですし。あと、私は下町が好きなんですね。東京で暮らすならごちゃごちゃした下町がいいなあと思って、実家を出まして、その荒川区の東尾久というところで、6畳一間、1DKのアパート暮らしを始めました。
さあ、これからガンガンAAの活動やるぞ!と。M断酒会の方もずっと通っておりまして、その時にはもう例会で司会をやってたりとか、機関紙に川柳を書かせてもらったりとかしていました。本当に当時は自助グループ中心の生活で、仕事は自助グループに通うためにやっていたような感じでした。 そういうことで、1人暮らしを始めて「さあ、これから!」ということだったんですけれども。ところが、その、入った会社で、どういうわけかグループリーダーの女性から嫌われたみたいで、フレームアップみたいな感じ…「指示した仕事をやらなかった」とか、「仕事ができない」とか、そういうことをいろいろ言われて、1か月…当時は、派遣社員って、事実上、最初の1か月って、お試し期間みたいなもので、その後3か月ごと更新で長く働けるはずだったのが、1か月で契約終了、打ち切り、事実上のクビになりました。派遣会社の社員は「それは申し訳ありません、すぐに次の仕事を取ってきますから」みたいなこと言ってくれたのですが、私、そのときに思ったのが「そうだ、トロントへ行こう」。
…なんのこっちゃと思われるかと思うんですけれども、実はそれが2004年の出来事で、翌年2005年にはAA70周年の国際コンベンションがカナダのトロントで開かれるんですね。 AAの国際コンベンションって、5年おきに北米大陸のどこかでやるんです。2005年はカナダのトロントで開催される予定でした。日本からツアーがあったので、そのツアーに参加し、できればそのまま現地に私だけ残って少し旅をしたいなって、思っちゃった。…思っちゃったんですね。いきなり一人で外国に、というのはさすがに怖いけど、AAのメンバーと一緒に国を出て、何日間かは一緒にいられるわけだし、いいんじゃないかな、と考えたのです。どうしても行きたくなっちゃったんで、これはもう仕方ない。それで「そうだ、トロント行こう」と決めました。
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