
社会の中で「今日一日」
アルコール中毒者のぴなこです。アルコールを手放してから、自助グループへ通い、今日、飲まずに生きて23年に至るまでのところを、ざっとお話をしています。前回はアルコールデイケアを卒業してから少しずつ社会に出たところまで書きましたが、その続きをお話します。
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一歩ずつ社会に踏み出す(1)
仕事は、まだ本格的に続けていく仕事を探すつもりはなく、しばらくの間雇ってもらえそうな仕事を選びました。
亀有というところに大きな電気会社の関連会社がありまして、そこのコールセンターの受信オペレーターとして働きはじめました。1日7時間、フルタイムで、残業が少なくて時間であがれる仕事だったので選びました。クレジットカードの問い合わせ対応が仕事で、電話かかってきて、インカムってやつで、聞いたり喋ったりして、ちゃちゃちゃっとその パソコンにその内容を入れてったりするんです。結構クレームがあったりとか、大変でしたね。今であれば、後から自助グループに繋がってくる人が「こういう仕事したいんですけど」って言ったら、「大変だからやめたら」って言うと思うんですけれども…。
でも、アルコール依存症になってから、今日までの間、本当に頻繁に思うことなんですけれども、本気で自分のアルコールの問題と向き合っている限り、運命が悪いほうに転がらないというか…そういうもんだと思うんですけど、そこは女性ばっかりの職場で、割と人間関係が良かったんですね。男性は責任者…多分、親会社からきていて定年間近だったんじゃないかと思いますが、その方とあと1名だけ。責任者の方も、とても立派というか、いい方だったと思うし、スタッフはみんな、私と同じように「パートでフルタイム」みたい働き方で、その中から、その職場に残りたい人で、会社の方としても残ってもらいたい人は契約社員というものになっていく、という感じでした。結構、今でいう、シンママ、1人でお子さんを育てている方とかも何人かいたし、若い女の子もいたし、年配の女性もいました。いろんな世代の女性たちが、さして広くない空間で一緒になって、1日中電話を取ってたんですけれども、みんな助け合って、親切でした。
私は、そこで、世間の女性っていうのは偉いんだってことに気づいて、びっくりしたんですね。 私は自分が一人前…学校を出て、男性と同じ仕事っていうのか、そういうことを、やってきて、 一人前だって思ってたんですけれども、世の中の女性っていうのは、こういう形で仕事をして、家事をやって、しかも、子育てもやってたりするんですよね。それ全部やって、その合間に、というか、その隙をついて、自分の楽しみごとを見つけたりとか、ちょっとおしゃれをしたりとか、趣味をやったりとかしてるんです。月に1回ぐらい、送別会とか歓迎会とか、何かしらの理由で飲み会がありました。飲み会多いなあ、と思っていたのですが(笑)、みんな、息抜きをする機会として上手に利用してるんですよね。しばらくしてそれに気づきました。そうやって生きてて、みんななんて偉いんだろうと思いました。それで「私は世間一般の女性の方と比べて、えらいこと差がついちゃったんだ!」と思いましたよね。でも、その時はもう、自助グループに通っていたので、「しょうがねえ」と。私は15年、酒飲んで、酒が何より大事な生活をしていました。一口に15年って言っても、おぎゃあと生まれた子どもが義務教育終わる期間なんですよね。その期間飲んじゃったんで、それだけ差がついているのは当たり前で、もうこの差は取り戻せないから、そこんとこは諦めなきゃダメだっていうのはわかりました。だから、私は、転がったり、つまずいたりすることになっても、やっぱり飲まないで生きることを軌道に乗せていくことが大切だし、それでいいんだって思いました。
そういうことで、仕事しいの、自助グループしいの…まあ、私もまだ30代の半ばぐらいで体力もありましたので、バダバタやってましたけれども。 ちょっと困ったのは、夕食をとる時間帯なんですよね。仕事が多分5時とかにあがれるようになってたはずなんで。自助グループって、断酒会が6時半から、AAが7時から始まるところが多いので、仕事が終わってから自助グループが始まるまで、時間が結構、開いてしまいますし、そのころは、母親がお弁当かなんか作ってくれたりとか、自分で買って食べたりとか半々ぐらいだったんじゃないかと思います。会社の休憩室みたいなところでご飯食べてから自助グループの会場へ向かっていました。とはいえ、まだアルコールが止まって、そんなに時間が経っていない時期だったんで、いろいろな面で、メンタルも、不安定なところもありましたし…。デイケアは卒業しましたけれども。精神科の診察には月に1回ぐらいは行って、SSRIという種類の、軽い抗うつ剤みたいなのと、軽い眠剤みたいのと、あと、なんか漢方みたいのももらって飲んでいました。酒を飲まない生活を軌道にのせようと必死ではありましたけれども、確かに、大変は大変 でした。実家の居心地もそんなにいいわけではなかったですし、まだまだAAのプログラム…ミーティングに通ってたっていうだけで、本格的にプログラムを始めてなかったし…というような具合だったんです。ここまで、社会に滑り出すハシリのところだったので、ちょっと詳しく話をさせてもらいました
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