
飲まない一日を繰り返す
アルコール中毒者のぴなこです。前回までが通しでお話した1回めで、今回から続きをお話します。アルコールを手放してから、自助グループへ通い、今日、飲まずに生きて23年に至るまでのところを、ざっとお話をしたいと思います。
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アルコールデイケアから少しずつ社会へ、自助グループへ(2)
アルコール中毒者のぴなこです。
体験談の続きということで、ざっと通しで、できるだけ今日に近いところまで、大まかな歩みというか、そこのところまでお話しようかなという風に思っています。
前回はとにかくお酒が止まって、アルコールデイケアに通って、そこから初めて、デパートでアルバイトして…というところまでだったと思うので、続きを話します。デパートの短期アルバイトを皮切りに仕事を探し始めて、デイケアを卒業…はっきりと卒業しますと言って抜けたわけではなくて、自然と行かなくなったみたいな形で出させてもらい、以降は自助グループに通うようになりました。私の場合は断酒会の方に先に繋がって、その後AAのメンバーにもなりました。
断酒会には、アルコールデイケアに通うようになってすぐに入会しています。当時、そこの病院のアルコールデイケアというのは、アルコール依存症の当事者のスタッフという方が何人かいらっしゃって、その方たちは、AAではなくて断酒会の方に入っている人が多く「一緒に行こうよ」みたいな形で、アルコールデイケアに通いはじめた翌月、2001年の10月に、M断酒新生会に入会しました。いずれ入会しようとは思っていたので、初めて参加して、すすめられるままに、あまり何も考えずに、入会届に住所と名前と電話番号を書いて会長に渡しました。断酒会はAAと違って、そういうものをちゃんと出すんですね。M市民会館というところの第1金曜日の例会でした。結構よく覚えています。その時に…ちょっとその件については後でまたお話することになると思うんですけれども…、その日、私の他にもうひとり女性の方が入会したんです。年の頃から言うと、私より確か 3つお姉さんで、彼女はすでにアルコールで入院の経験がある方だったんですけど、その方とたまたま一緒に入会することになりました。1度にその年頃の女性が2人も入ってきたんで、会長さんが、目を白黒させていたっていうような話がありましたけれども、女性が繋がるってのは、やっぱり珍しいことではありましたし、当時2人とも…私も彼女も30代の女性だったんで、非常にレアなことだったんだろうなと思います。断酒会は、M市の例会を中心に、近隣の会の例会にも参加していました。
断酒会の会員になって、例会に通うようになりましたが、やっぱり、AAにも行ってみたいなと思ったんですね。デイケアにいたときに、断酒会の先輩たちも、体験談をしにきてくださいました。アルコールデイケアのプログラムでそういう時間が用意されているんです。断酒会の体験談の他にAAのメッセージっていうのもありました。その時、AAのハンドブックというものが貸し出されて、それを手にしてAAのメンバーの話を聞くんですね。
その時の印象で言うと…、結構AAのメンバーの話っていうのが、インパクトがありました。断酒会は、結構ちゃんとした人を送り込んでくるっていうのか、ベテランの、ある程度しっかり 話ができる人が来てたなって印象なんですけども、AAだと…後でわかることなんですけれども、基本的に手を挙げた人が来るんですよ。3人とか4人とかで来て、お話をしてくれるんですけども、そのうちの1人の方は、その後、何年かして亡くなったそうですが、酒のつまみにね、猫いらずを食べながら飲んだっていうお話をされて。別の方、女性でしたが、アルコール依存症じゃなくて、基本的にACの自助グループに通いつつ、AAにも参加しているということで、メッセージにきてくれているという方もいました。そんなんで、AAっていうところは、ずいぶん、許容範囲が広いっていうか、いろんな人がいるんだな、という印象がありました。あと、とにかく内面を含めて自分の個人の話をよくする、しかも、かなり洗いざらい、内省も含めて話をする人たちだな、と漠然と感じました。断酒会の方でも、 「自分を改革する努力をし」(「断酒の誓い 4つめ)って言いますから、もちろんこれまでの自分について反省して、これから 新しく生きるっていうことを、目標としてやっていくのですが。でもAAのほうが個人の振り返りに徹するというか、そういう印象を受けました。
あと、AAプログラムですよね。AAのプログラムについての説明をみると、「神」っていう言葉がいっぱい出てくる。だから、最初は、「うーん、なんか、やっぱり嫌だな、神とか」と思いました。それに回復のプログラムの、ステップ4と5。 自分のことを洗いざらい棚卸しする、それを誰かに話さなければいけないっていうステップがあるので「えー! そんなことすんの?」って。嫌だなと思ったんです。 でも、やはり惹かれるものがあったんですね。それで、仕事に出るようになってしばらくしてから、自分の意思で、AAのミーティング会場に足を運びました。
だから、お酒止まったのは2001年の9月で、10月から断酒会の会員になりまして、AAのメンバーになったのは、2002年の 2月とか3月とか…だったんじゃないかと思います。AAの東葛グループで、ワンデーメダルをもらいました。
デイケアを卒業して、仕事をするようになってからは、熱心にというか、ほぼ毎日、土日祝日関係なく、断酒会の例会かAAのミーティングに通っていました。本当に「足を止めたら飲んじゃうんじゃないか」っていう思いもありましたし、自分がアルコール依存症だっていうことを理解した、底つきの体験と言うんでしょうか、ありのままの、本当のことが分かった時、自分が進む方向っていうのはこっちであって、途中で失敗してしまったら仕方ないけれども、とにかく自分のやるべきことは、飲まない生活を続けることで、そこに絞ってやっていこうっていう、自分なりの強い気持ちいうものがあったんだと思います。
あと、こういう話は後でまた度々することになると思うんですけれども、やはり自助グループの仲間というものが、単純にありがたく、例会やミーティングで聞かせてもらう話っていうのが、ほんとに好きだったんですね。誰の話を聞いても、これって自分と同じだし、 自分のことを、その仲間たちの口から聞かせてもらっているような気もしました。「正直に話す」ということが、自助グループの中では重んじされますので、ここでは正直に話していい。…いいというか、むしろ正直に話さなければいけいない。正直に話してよくて、しかもその話を黙って聞いてもらえるっていうことが、 私としては、本当に助かったというか、嬉しかったです。だから、行かないと飲んじゃうかもって恐れもありましたけれども、むしろ、自助グループに通うことが、本当に楽しかったということがありました。
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