
今回は、2023年10月に行われたAAの地区セミナーでスピーチをさせてもらったときのお話です。
セミナーのテーマは「私にとってのAA」。スピーチの前に、自分の考えを整理するためにメモを作っていたので、今回はそのメモをもとに、当日のスピーチの内容をできるだけ再現してみました。2回に分けます。その1回目です。
自己紹介
アルコール中毒者のぴなこです。簡単に自己紹介をします。2001年からソーバーの生活に入っています。最初は東京・城北地区のグループ、東京・中央地区のグループを経て2014年にAAメンバーの夫と千葉県南房総市に移り住み、南総里見グループを作ってミーティング会場を開いています。
はじめに
今日の持ち時間は20分いただいています。自己紹介してから「私が初めてお酒を飲んだのは~」から話しはじめて底を突くまで話しますと、要領よく話しても15分かかってしまいます。22年もやっているのでかなり確実に時間を測れます(笑)。本日いただいているテーマが「私にとってのAA」。できるだけ、テーマに沿ってお伝えしたいと思います。しっかり話すと5時間くらいかかります(笑)。本当はフルコースで話したいですけれども、そうもいきません。
底突き
そういうわけで話はいきなり、酒で底を突いたところから始めます。
15年飲んで…あくまで今のところですが…最後になっている連続飲酒で、1週間に通称だるま、サントリーオールドをすくなくとも毎日2本くらいずつ飲んでいました。なんとか離脱症状が収まってきたところで、電話帳で調べていちばん近い精神科のクリニックに飛び込んだら、そこがアルコール専門病院と提携しているところでした。
ドクターに「自分がアルコール依存症だと思いますか?」と聞かれて、まったくそのつもりはなかったけれども「思います!」と答えてしまったんですね。そのときに「自分は決して酒をやめることができない」という、いわゆる「ありのまま」の事実、本当のことに気づきました。やめるべきだとかやめたほうがいいとか、やめたくないとかそのあたりはどうでもよく、繰り返しますが「自分は決して酒をやめることができない」という、本当のことに気づいたのです。
それまで一度も酒をやめようと思ったことはありませんでした。無理に決まっているから。酒をやめるという選択肢はなし。「自分は酒をやめられない」ということを知ったとき、不思議と、妙に「スッキリとした」という感覚がありました。連続飲酒明けだったので、頭はぼんやりとして、何の考えも浮かばなかったのにも関わらず、です。それ以来、今の今に至るまで、深刻な飲酒欲求につかまったことはありません。
…そういうわけで、2001年の9月の初旬、ある日の明け方に生のまま飲んだサントリーオールドが今のところ最後の酒になっています。こんなことになるなら好物だったバーボンにしたおけばよかったと…(笑)。これは冗談ですが。それで、その日のうちに、健康保険証を手に入れるべく役所を2件回りました。酔っ払ってばかりだったので、仕事辞めてから手続きしてなくて保険証を持っていなかったんですね。そして、翌日からアルコール病棟がある病院のアルコールデイケアに通いました。そこで分かったのは、酒を飲まないで生きていくためには自助グループに入って活動するしかないな、ということでした。
デイケアの先輩に連れていってもらって、最初、断酒会(断酒新生会)の会員になりましたけれども、数ヶ月後にはAAのプログラムに惹かれて自らAAに足を運ぶようになりました。以来、AAは、私の生きていく上ので指針になっています。今日のテーマは「私にとってのAA」ですが、私にとってのAAはそういうものです。
AAへ 最初の4年
AAにつながってから3~4年目くらいまで、東京の城北地区のグループにいた時代は、とにかくミーティング、メッセージ、サービス、フェローで毎日かけまわりました。仕事も亀有、環七沿いにあるオフィスで定時にあがれて確実にAAのミーティングに出られる仕事を選びました。
飲まなくなって3年経ったころ、なんとか実家を出るメドがついたので荒川区の東尾久で一人暮らしを始めました。その場所を選んだのはひとえに「AAの活動のため」でした。ホームグループの会場と当時のメッセージ先…更生保護施設が何件かありまして…が近い場所を生活の拠点にしたかったのです。
こうして、がっつりAA中心の生活を送っていました。今から思えば「熱心なことだったよのう…」と思わず遠い目になってしまいます(笑)。今では、当時のようには動けません。それにしても、AAにつながって初期、最初の3年くらいの間に、AAと濃厚に関わったことが自分にとってはすごく重要、かつ、ラッキーなことだったと思います。AAはちゃんとやったらちゃんと返ってくる場所です。半端にやってたら半端な出会いしかないし、半端な結果しか返ってきません。そういう意味では厳しい世界なんです。
とはいえ、関わりが濃厚になったのは仲間意識…フェローシップに惹きつけられたから、という部分が大きかったと思います。当時はまだビックブックの通りに12ステップをやる、ということがあまり言われていない時代でした(あくまで私の見方ですが)。今から20年以上前の話になってしまいますけれども。私にとってはそれがよかったような気がします。
おそらく当時の私が、喫緊で必要としていたのはフェローシップとコミュニティだったのではないかと思うからです。思い出は数しれずありますが、ひとつだけ印象深い出来事をお話します。
私がまだAAにつながって1年も経っていないころのことでした。当時よく通っていたミーティング会場で、ある仲間の姿を見なくなったな、と気づきました。正直なところ私はその男性の仲間のことが好きではなかったのですが(笑)、回っている会場が結構被って、よく見る顔だったんですね。でもしばらく顔を合わせることがなく…。久しぶりに、ある会場で彼の姿が見かけました。私は彼の姿をみたとたん「よかった~!」と安堵したというかほっとして嬉しい気持ちになりました。なにしろAAから離れた仲間の行き先は「病院、棺桶、刑務所のいずれか」と言われていましたからね(笑)。同時にそう思う自分にびっくりしました「は? ちょっと待てよ」という感じです。好きではない仲間を会って嬉しく感じるとは! しかも、それと同時に「AAの仲間も、私のことをそう思ってくれるに違いない!」と確信したんですね。もうちょっと詳しく説明すると「もし私がしばらくAAのミーティングに姿を見せなくなって、久しぶりに戻ってきたら、AAの仲間たちは、今、私が、彼に会えて嬉しく思ったのと同じように喜んでくれるだろう」と思ったんです。いや、分かりませんけどね(笑)。おそらくこれは私が生まれて初めて人を信じた瞬間だったのだと思います。当時私は34歳くらいだったと思うので、実に34年間、私は誰のことも信用していなかった…もう少し厳密に言うと、人を信じる、ということを実感したことがなかったのだ、ということを知りました。もっとも、このときの体験が言語化できたのは、何年も経ってからのことです。酒がとまったときの、あの気付きと同じくらい「覚醒した」感のある気づきでした。
(2)へ続く
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