
アルコール中毒者のぴなこです。
このシリーズでは、私がAAに繋がってソブラエティ(飲まない生き方)をいただき、その中でも、私的にハイライトというのか、人生全体を見渡してもやっぱりハイライトかなと思うような体験の1つだった私の大冒険、トロントからニューヨークを巡った旅についてお話をしていきたいと思います。とはいえ、もう20年も前の話です。時が流れる早さに驚き、今日一日をしっかり生きたいとの思いを新たにしました。格好良くまとめたいと思ったのですが、やはりたらたら語りたくなってしまいました。1回分は読みやすい長さにしますし「ブログ記事の目次」に見出しタイトルを入れるようにしますので、ぜひお読みいただければと思います。
旅立ちのいきさつ ~恵みの「クビ」により~
旅立つことになったいきさつとは、この体験談の別のシリーズ「私のアル中体験記飲んでた頃と飲まない今の長いいきさつ」の中に少しだけ書きました。重複するところもあるかもしれませんが、このシリーズだけお読みいただく方もいるかと思いますので、手短にお話します。
2004年9月頃のことです。その頃、私は、AAに繋がって、飲まない生活を続けていました。2001年の9月にお酒が止まってから、3年くらい経っていました。断酒生活に入って約半年後から、フルタイムで働くようになっていて、AAの方もグループにつながり、ほぼ毎日のようにAAと断酒会に通って、自助グループ中心の生活をしていました。
当時は千葉県北西部の町にある親の家に住んでいたのですが、あまり居心地がよくなかったんですね。家も古いし狭いし、毎晩自助グループを回るので、都内にある職場から帰宅すると時間も遅くなりますし。やはり1人で生活をしたいな、という思いが強くなり、思い切って東京都荒川区の東尾久にあったアパートの一室を借りて、引っ越しをしました。
その界隈を選んだのは、所属していたAAのグループの会場がその近くにあったから、という理由が大きかったです。ミーティング会場だけでなく、AAの活動で出かける先も何か所か、その近くにありました。家賃も比較的手頃なエリアでもあり、そもそも私は、ごちゃごちゃとした下町が好きなんですね。6畳1間、ちょっと広めの台所と、シャワーなしで浴槽だけがあるお風呂がついた、築35年くらいの古いアパートで、同じ敷地内の隣の棟に大家さんが住んでおられて…このアパートの話は、またどこか別のところでお話したいと思います。
一人暮らしに踏み切ったのは、ある程度、仕事のほうもなんとかなりそうだと判断したからです。その年、2004年の10月からリクルート系の人材派遣会社を通して、長期の派遣の仕事っていうのを紹介してもらいました。当時は、オフィスでの仕事の長期派遣というのは、最初1か月の「お試し期間」があって、その後は3か月ごとに契約更新していくのが一般的でした。不安定ではありますが「1年や2年はいられるだろう」と、踏んだのです。
家賃は管理費込みで6万円でした。仕事はオフィスワークで、何かのプロジェクトのサポート業務というか雑用係みたいなことだったと思うのですがよく覚えていません。なにしろロクに仕事をしないうち、「お試し期間」の1か月で事実上のクビになったので。
そのプロジェクト内で一緒に仕事をすることになった女性のリーダーが私のことを気に入らなかったんですね。プロジェクトマネージャーに、私が言われた通りに仕事をしないとか、仕事が遅いとかいうことを言って1か月で切るように進言したようです。私としては、彼女から注意を受けたこともありませんでした。こちらは、ごく弱い立場なので、「もっとこうやってくれ」とか、「こうじゃないよ」とか、そういうふうに言われていれば、すぐに言われた通りにしたはずです。要するにフレームアップみたいなものでした。
1か月しかいなかったその職場の最後の出勤日には、プロジェクトのメンバーから一言ずつ寄せ書きをしてもらった色紙と小さな花束をもらって拍手とともに送り出されたのですが、そのときの様子からしても、私に出ていってほしがったのは、あの女性のリーダー一人だけだったのだろうと思いました。わかりませんけれども。お花は外に出たら捨ててやろうと思ったものの、私も、すでにAAのメンバーになって3年経っていました。そういうことはせずに、帰りに寄ったミーティング会場の教会に飾っていただけるよう、お願いして、置いてきました。
…まあ、そういうことで、仕事はクビ。私の方はですね、約3年間、働きながら自助グループに休まずに通って、いろいろな役割もやっているのに「なぜこんな目に遭うんだろう」とその時は思いました。けれども、今にして思えば、それはまさに神様が与えた試練という名の一大プレゼントだったと思います。派遣会社の社員は「すいません、次の仕事を紹介します」というふうに言ってくれたんですけれども、私は、突然思いつきました。「そうだ、トロントに行こう!」
…トロントって何かというと、その時2004年で、翌年の2005年にAA70周年の国際コンベンションというのがカナダのトロントで開催される予定だったんですね。そこに行こうと決めました。AAのJSO(日本ゼネラルサービスオフィス)という、日本のAAの事務局のような役割をしているところがあるのですが、そこがツアーを組んでくれていたので、それに参加しよう、と。仕事がクビになったんだから、ツアー終わったら現地に残って、バックパッカーになって、AAのミーティングを回ったり観光したりしてこようと考えました。お金が尽きたら帰国すればいいわけです。もう、どうしてもそうしたくなっちゃったんですね。当時、私も37歳で体力もありました。とはいえ、一人暮らしの部屋を借りましたので、お金の問題があります。2005年の6月の最終週にトロントに旅立つまで、節約しつつ、短期の派遣の仕事でなんとか食いつなぎました。求人誌の校正やOAオペレーター、電話のオペレーターなんかを1~2か月くらいずつやったのを覚えています。あっという間に時は過ぎ、無事、仲間と一緒にトロントへ旅立つことになりました。
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