まずは、最初の一杯から、(今のところの)最後の酒まで、ざっくりと(1)
アルコール中毒者のぴなこです。今回は、まず、 アルコール依存症の当事者としてアルコールを手放すようになるまでのところを、ざっとお話をしたいと思います。
初めての酒
何分、非常に長い期間の話をざっくり話しますので、今回、話にでてくるさまざまなエピソードや自分の問題については、追って、またの機会に、もう少し詳しくお話をしていくことにして、今回は、飲み始めて、飲み続けて、どこで止まったのかっていう、そこの辺りだけをお話させていただこうかなというふうに思っております。
2001年の9月6日の朝の5時過ぎぐらいのことだったと思うんですけれども、 サントリーオールドですね、いわゆるダルマっていう黒い、まるまっちいボトルのウィスキー。それを、 枕元に置いてあった…なんかもう指紋だらけで、ペタペタになっちゃった汚いグラスに、こっこっこっこと、注ぎまして、ぐいと飲みましたのが、今のところ、私が飲みました最後のお酒になっております。…あくまで今のところなんですけれども。
その時はそれが最後になるだろうなどとは全く思いませんでしたので、こんなことでしたら…。私は、お酒では、ウイスキーのバーボンがとても好きだったので、フォアローゼズとかですね、ハーパーとか、アーリータイムズとか、ああいうものにしとけばとよかったなとか思ったりなんかしますが…これは冗談です。
…以来、23年、今年2024年の9月で23年、アルコールの方は飲まずにいます。では、今回はそこに至るまでのお話をいたします。
私が初めてお酒を飲んだのは17歳のときだったかと思います。高校生の時ですね、 うちの親が、どこかから聞いてきたんでしょうけれども、赤玉ポートワインが体にいいらしいと聞きつけてきて、一升瓶みたいのを買ってきまして、「これ、飲んだら?」みたいなことだったんです。別に私に飲めっていう話でもなかったような気がするんですけれども、でも、何がしか「飲んでいい」というようなことではあったと思います。 それで、飲ましてもらいまして、赤玉ポートワイン。
やっぱりその時に、これやっぱり後から考えても問題だなと思うんですけれども、「おいしい!」と感じたことを記憶しています と。生まれて初めて飲む酒というものは、多くの方にとっては「あんまり美味しくないっていう話が一般的みたいですよね。アルコールってやっぱりちょっと独特のエチルアルコールの味もしますし、苦味もあったり。
しかし、私、なんとなく「おいしい」と感じたんですよね。おそらく、 もうその瞬間からですね、何かもう、アルコールというものが、私にですね、非常に大きい影響を与えたんですね。それが証拠に、それから間もなく、 1ヶ月も経たない頃だったかと思うんですけれども、父親の寝酒のウイスキーを飲んでみようと思って…いや、だから、その「飲んでみよう」っていうのが、大変おかしなことであるんです。赤玉ポートワインが、おいしかったと。だったらそれを飲めばいいんじゃないかと思うんですけれど、そうではなくて、その父親のウイスキーを内緒で、と。だから、もうすでに私の中に期待があったんじゃないか思います。
それで、とにかく父親のウイスキー…銘柄覚えてないですけど、コーヒーカップに、こっこっこっこ…と注いで、ほぼ一気飲みたいな感じでした。その後、もう記憶がないんです。自分のベッドで寝ていましたので、多分特に何か騒ぎとかも起こすことなく、そのまま、ばたっと…考えてみれば、人生で2度目のお酒でブラックアウトなわけなんですよね。だから、このことを思い出すにつけても…アルコール依存症というのは遺伝的、体質的な原因があるというふうに、言われていますけれども、 私なんかはまさにそういうことで、 もう、母親のお腹の中にこう入った瞬間から、アル中確定みたいな、おそらくそういうことだったんじゃないかなって、振り返って思います。
それで、そういうふうにして飲んじゃって、次の日、朝、起きられなかったんです。 昼頃なんとか起き上がって、ふらふらしながら、登校しました。遠距離通学で1時間ぐらい電車に乗っていかなければいけなかったもので、なんとか行ったんだと思います。
それまで、私というのは、ちゃんと学校行く人だったんですね。小学校、中学校とも皆勤賞か精勤賞でした。もちろん高校も無遅刻無欠席で、行っていたかと思います。
だけど、酒を飲んだせいで、初めてそうなってしまったんですよね。そのときもすごくしんどかったと思うんですよ。いくら若くても、具合も悪かったし、くらくらしてたんじゃないかと思うんですけれども、とにかく、そういうことがありました。 ここでまた大問題なのが、そんなことがあったにも関わらず、「もう2度と酒は飲むまい」とは思わなかったことです。私にとっては、結構、大変なことだったはずです。
高校の頃というのは非常に一生懸命勉強していましたし、学校を休んだことがなかったもので、 だから、本当であれば、「いや、私はなんてことをしてしまったんだろう」っていうことで、そこで一般的な言葉を使えば「懲りる」はずなんですが、まったくそうはなりませんでした。
とはいえ、その後、そのまま常習的に飲むようにはなりませんでした。ではありますが、学校のテスト、中間テストだったり、期末テストだったりの前日か、あるいは終わった後かのタイミングで、当時、タコハイっていうのがありまして、缶チューハイですよね、缶チューハイで小さい缶に入ったやつがあったんです。それをこう、近所のスーパーの前にある自動販売機で買えたので、小遣いで買って、飲むっていうことをやっていました。高校生の頃の私は、何をやってたかって言うと、ガリ勉してたんですね。(…続く)
次回はこちら