若さを飲み潰す 第3章 ~1994年 夏 石垣島キャンパー生活~

実家に戻って、とりあえず家賃や光熱費に追われる心配がなくなりましたので、これから、どうしようかということを考えました。もちろん酒のほうは相変わらず飲んでいます。
そこで思いついたのが「そうだ、沖縄、行こう!」でした。その11年後、「そうだ、トロント、行こう!」(ニューヨーク AA武者修業たらたら編)と相成ったのと、同じノリです。せっかく仕事を辞めたんだからどっか行ってくるか、ということで。「そんなことしてる場合か?!」などとはまったく考えず、呑気なものです。こういうところも適当で安直なのでした。
旅をすることで精神状態が上向き、酒の量も減らせるのではないか、という期待がありました。
今の自分をなんとかしたい、このままじゃいけない、という大真面目な思いも、確かにありました。
まあ、ビックブック(AAの基本テキスト)でいうところの「思いつくかぎりの方法で自分をだまし、実験をやって、自分がアルコホーリクでないことを証明しようとする」努力の一環に違いありませんでしたが…。
お金も手元に残っていましたし、沖縄に渡り、最終的に石垣島の米原キャンプ場に長期滞在してみよう、と考えました。移動手段はフェリーとスコットのマウンテンバイク。
マウンテンバイクにフォーサイドといって、前後のタイヤの上にキャリーバックを2つずつ取り付けて、シュラフやテントを載せます。安物のキャンプ道具も調達して、那覇港行きのフェリーに乗るために東京の有明港に向かいました。実家から有明港まで30kmくらいあります。当時はまだ26歳。一般的に人生で最も体力的には恵まれた頃のこと。あれだけ大酒を飲みながらも、体力はありました。
那覇港まで2泊3日。2等船室で過ごしましたが「オリオンビールが美味かったあ!」ということぐらいしか思い出せません。旅行記ではないので詳しくは書きません。というより、記録がまったく残っておらず、書こうにも書けないのです。沖縄本島に1週間ほどいたあと、慶良間諸島、渡嘉敷島と座間味島でキャンプしました。海の半端ない美しさが印象に残り、今でも思い出すことがあります。とくに座間味島のビーチで見た沈む夕日は「もうこれ以上美しいものを見ることは二度とないだろう」と思いました。さすがにそのときは、お酒は夜、寝る前にテントの中で飲むにとどめていました。
9月の暑いさなか、自転車旅の苦労も楽しさも、ちょっとこの世のものとは思えないような美しい景色も、私とお酒の関係を正常にすることはできませんでした。それでも旅の最中は、次に向かうところを決め、どこでどう過ごすかを決め続ける必要があるため、酒量は一時的に減りました。その後も私は「どこか遠くへ行けば問題が解決するかもしれない」という期待を持ち続け、幾度も旅に出ることになります。ちなみに飲んでいた時代に最後に試みた遠出は四国八十八箇所霊場めぐり。そう、四国お遍路の旅です。さすがにそのころは酒で気力も体力も奪われ、御茶ノ水のスポーツ用品店に靴を買いに行ったところまでで計画は中断しました。
のちに自助グループで仲間の話を聞くようになると、私のような「遠くへ行きたい病」を発症する人(笑)は一定の割合で存在し、四国お遍路巡りも、まったく同じことをしようとした仲間と会い「いやあ、私もよ~」と笑い合いました。
さて、旅はそれなりに順調に進み、ついに石垣島の米原キャンプ場にたどり着きました。米原キャンプ場は、フェリーの船着き場から20kmほど離れています。近頃のキャンプ場とは異なり、設備はほとんどなかったように記憶しています。シャワーも海水浴場にあるようなものだったかと思います。そういうキャンプ場ですからツワモノも多く、1泊だけで去っていくキャンパーはほとんどいません。短くても1週間くらいはテントを張って過ごす人がほとんどで、長期滞在者もたくさんいました。何年も住み着いているという人もいたとのこと。残念ながら、この米原キャンプ場は2022年以降、閉鎖されているようです。
キャンパーの多くはライダー(オートバイでツーリングする人)で、私のようなチャリダー(サイクリスト)もいました。そもそもオートキャンプという概念がなかった時代で、車で来ていた人は少数派だったと記憶しています。
キャンプ場に滞在していると基本的に暇ですから、キャンパー同士で夜、一緒に飲んだりするようになります。キャンプ場の近くには食堂も飲み屋もなく、お店といえば、おばあちゃんが一人でやっている小さい雑貨屋さんだけ。そこで、泡盛の一升瓶が売っていました。初めて飲んだときには、独特の癖のある味に思えましたが、すぐに好きになってしまい「飲み口が良くて悪酔いしない」などと、おこがましいかぎりの感想を持ちました(笑)。
キャンパーが集まって夜、酒盛りをするのですが、みんな気のいい人たちで、年代もいろいろでした。最初の数日は私も大人しく飲んでいたのですが、もちろん酒を過ごすようになります。ある朝、とある男性から「お前の酔い方、変だぜ。ここがキャンプ場だからいいけれども、普通の会社で、あんなんだと、ちょっとなあ」と言われました。どきっとしました。…と同時に「そうだろうな」とも思いました。すごく恥ずかしかったです。
私が15年間飲んだくれていた間、面と向かって「私の飲み方がおかしい」と言ってくれた人は思い出す限り、たった3人で、このキャンパーの男性がそのうちの一人でした。もっとも、私が思い出せるのが3人だけで、他にも言ってくれた人はいたと思うのですが、飲んでいたからか、思い出したくなかったからか、覚えていません。
キャンパーの男性は、あまりしがらみがない人間関係だったので、言いやすかったというのがあったのでしょう。今から思うと、こういうふうに言ってもらうということは、とてもありがたいことだったと思います。しかも、ものすごく表現が的確ですよね(笑)。言われると、そのときは悔しいし辛いんですけれども、無意識のうちに、やはり私はいつかは酒を手放さなければならない…と、心を傾けていくためには、こういう、名前も覚えていない人の一言は私のためになったのだと、今では思っております。
普通の方は「あんた、酒飲みすぎるよ」とか「アル中じゃない?」とか「その酔い方、問題あるよ」とか、言いにくいですよ。私なら、この人酒癖悪いな、と思ったら、黙ってそういう人からは離れますから。ホント、アル中の私が言うものどうかと思いますけど(笑)。
実際、数多くの人が、そういうふうに、黙って距離を取っていかれたのだと思います。私は気づきませんでしたが。
…なので、もし今後、このお話を聞いてくださってる方の中で、こいつの酒は…と思うことがあったら、きっぱり言ってくださった方がいいと思います。これはもう、私個人の意見ですけれども。もちろん、言われた本人は言うことなんか聞きゃしないと思うんですけれども、その一言が、その人にとっては、いい機会というか、大事な経験になると思います。
もし、言われた方が、その言葉がきっかけのひとつになって、追い込まれ、破滅の道まっしぐらみたいなことになったとしても、仕方ないんです。厳しいことを言えば、アルコール依存症というのは、なにをどうしても行き先は決まっていて、いずれにせよ、破滅の道まっしぐらなんです。酒を手放さない限り、その速度がゆっくりであろうが、あっという間であろうが、破滅のみ。
…それからは、私も少なくとも、夜の酒盛りのときは大人しくしているか、早めにきりあげて自分のテントで飲むようになりました。
それでも、キャンプ場のあった米原ビーチは美しく、良いところでした。キャンプ生活もいい経験でした。夜、自販機に飲み物を買いに行こうと思ったら、ヘビがシュッと足元を横切っていきました。ハブだったのではないかと思います。泡盛も美味しかったです(笑)。今となっては古酒(クース)が飲めないのが残念ですね。飲んでおけばよかったです。
この、沖縄の旅は、アルコール依存症がどんどん悪化して転げ落ちるようになっていく前の最後の小休止(これでも!)だったかな、と思います。
次回は帰宅してからの話を続けます。

