体験談

私のアル中体験記 飲んでた頃と、飲まない今の長いいきさつ(10)

帰国してからの意外な展開

アルコール中毒者のぴなこです。アルコールを手放してから、自助グループへ通い、今日、飲まずに生きて23年に至るまでのところを、ざっとお話をしています。前回まで、社会に復帰しつつ自助グループに通い、3年ほど経ったところで一人暮らしを始め、それがクビになってトロントからニューヨークへ旅することになり、3か月ほどで帰国するところまでお話しました。その続きをお話します。

前回はこちら 次回はこちら

2度のプログラム的転機に遭遇!

あんなに好きだったミーティングが、ほんとうに嫌になっちゃって。 でも、そうかといって、やっぱり行かないわけにもいきませんので、六本木で開かれていた英語ミーティングに行ったりしていました。ちょうどそのタイミングで、ホームグループ(自分が所属するグループ)に、ちょっと、支配的な感じの仲間とかが入ってきちゃっていて、非常に人間関係が厳しくなっていました。それと同時に、 日本のAAにもある種のムーブメントみたいなのがやってきていたんです。それまで…あくまで私の見方ですけれども、私がAAに繋がったころは、 いわゆる「足で回復」という考え方、「アル中の脳みそは、足の裏についてるんだ!」という言い方もありましたが、ひたすらミーティング。歩いて歩いて歩いて、回復していくっていうやり方が主流だったと思います。

ステップミーティングもあれば、ビックブックミーティングもあるにはあったんですけれども、今からと比べると、非常に数も少なかったですし、私なども、当時は、ステップミーティングはステップミーティング、ビッグブックミーティングはビッグブックミーティングっていうふうに、全然別のテキストだと思っていたくらいでした。ビッグブックとステップにあんまり関係があると思ってなかったんですよね。いきなりビックブックと言ってしまいましたが、これは「Alcoholics Anonymous(アルコホーリクス・アノニマス)」というAAの基本テキストのことです。通称としてビックブックと呼ばれています。このビックブックが大元、基本テキストなんですけれども、日本のステップミーティングでは、「12のステップと12の伝統」という本が使われることが多かったように思います。

そんな中で、「やっぱりAAのプログラムって、ミーティングに出てさえいればいいというのではなくて、ステップワーク、ステップ1から12まで、それをやんなければダメだよね」っていうムーブメントが起こりました。ビックブックを中心にして、AAのプログラムを忠実にやるべきじゃないかみたいなことが、私の印象では全国的に一気に広まったように感じました。

私も、短い間だったけれども、アメリカに滞在して日本に帰ってきて、「やっぱり、それだよね!」と思いました。それで、最初に繋がったグループは抜けまして、四谷ビックブックグループという、ビックブックを毎回読むグループの方に入りました。それから、約3年間は、個人の回復のプログラム…12ステップのステップワークをやることと伝えることに没頭しました。それ以前は、メッセージとか、各種の委員会とか、そういう自分たちの コミュニティの中の役割的なものですよね…そういうものも結構たくさんやっていて、土日はほとんどそういう予定で埋まっていました。それをいったん全部手放して、「Do the step」という方法を中心にプログラムを手渡すことを熱心にやっていました。

その頃は「ミーティングで底つきの話ばっかりして、何とか委員会とかに行ったって、回復しねーよ!」みたいな、そういうノリでしたよね。同じような考えの仲間たちとしばらくやっていたんですけれども、 3年くらいやったところで、だんだんと「やっぱり、なんかこれもおかしいんじゃないか?」と思って、周りの仲間を見ると、言ってることと、やっていることが…はっきり言って、なんか違ってきてるような気もするし、いろいろ「これじゃいけないんじゃないか」と思うことが多くなって。やっぱり仲間っていうのはありがたいものです。そう。仲間が変だなって思うのは、そういう時って自分がおかしいんですよ。それはもう、そういうものです。仲間っていうのは、自分を写す鏡だと、よく言われますがその通りです。なんかおかしいよな、ということに気が付いて、似たような考えの仲間と新しいグループを作ることにしました。ちゃんと個人のプログラム、12ステップもしっかりとやりながら、グループの運営やコミュニティの中での役割もしっかりやっていこう、と。AAのシンボルの三角形…回復 、サービス、一体性。この通りにやるべきだ、と。それで、東京の中央地区、市谷グループっていうのを、作りました。

ニューヨークから日本に戻ってきて「日本のミーティングが嫌になって、ムーブメントに乗って個人のプログラム重視にシフトした」これが第1の転機で、その後、それもダメだと思って「AAのプログラムの基本、回復・サービス・一体性に忠実にやろうという方向にシフトした」これが第2の転機でした。私にとってはアルコールがとまったことと同じくらい、重大な転機だったと思っています。

前へ 次へ

タイトルとURLをコピーしました