
缶チューハイが示した兆し
こんなふうに、17歳でアルコールとの出会いがありました。
当時の私は、通学に1時間ちょっとかかる進学校に通い、学業には熱心に励んでいました。
ちょっと酒の話というよりも、生き方的な話に逸れてしまうので、ここではさっとお話するだけにとどめますが、私は、自分の生まれ育った家が好きじゃないというか、居心地が悪いと感じていまして、小学校4年生ぐらいのころには、はっきりと「早くこの家を出たい」と考えていました。そのためには一生懸命勉強して進学をして…将来は何らかの形で独立して自分で仕事ができるようになりたいと強く願っていたんですね。大人になって仕事をして、家族なんかにも関わらずに、もちろん自分でも結婚なんていうものはせずに自立した職業婦人といいますか…そういうものになるというのが私の夢でした。この辺りが、のっけからいきなり間違ってはいるんですけれども、一応ちょっと今回はそれは置いておくとして…
そういうわけで、とにかく一生懸命勉強しておりました。なので、最初の酒から2年足らずの間は、常習的に夜な夜な酒を飲むっていうところまでは行きませんでした。それでも、試験の前の日に、タコハイ…当時あった缶酎ハイで200mlか250mlの小さい缶…を、近所のスーパーの前にある自動販売機で、こそっと買ってきて1本だけ飲んで、寝ることがありました。「ぐっすり寝よう」と意図して飲んだ記憶があります。そうやって猛勉強をしたおかげで第一志望の学校に合格して進学しました。ちなみに私は、この「猛勉強」というのも、結構、アル中的な特質の1つだと思っています。短期間に、がーっと、何か集中的にやるっていうのか、狂ったようにやるんですね。朝から晩まで、意識がある間、ずっとそのことばっかり考えて、とにかく徹底的になにかに打ち込むって、「依存症、あるある」ではないかと。このサイトの中で「アル中本を読もう!」というコーナーがあり、「描きかけの油絵」という著作ついて書かせてもらっています。著者は私と同窓で、アルコール依存症になって回復した、断酒会の先輩でもあります。あの本の著書で書かれている勉強ぶりが私にすごく似ていて、めちゃくちゃ親近感が湧きました。
やはり、共通した何かがあるような気がします。
青春を飲みつぶす序章
進学して、ここから先、私の人生は酒によって崩れていきます。
18歳から15年間飲んだくれて、普通に考えれば、人生のいちばん良いときを無駄にしたということになりますが、今では、それは私に与えられたというか、私が今回の人生を生きる上で、重要な意味を持っていたというふうに思います。しかしまあ、普通に考えて、堕落の第一歩を踏み出したわけです。
受験勉強から解放されるやいなや、酒一筋の生活になりました。私は高校生の頃から家庭教師のアルバイトをしていまして、多少の小遣いを持っていました。自分の学費とか勉強にかかるお金っていうのを、そこそこ自分で賄っていましたので、酒に回すお金もちょっとありました。しかも大学生になれば、他にいくらでもアルバイトができて、飲み代がかなり自由に手に入る状態になったわけです。
1987年当時の、私の目から見た酒事情というのは、それまで高級とされてきた洋酒の値段が下がってきて、代わりに、といってはなんですが、安いお酒…サントリーレッドとかトリスとか、そういったお酒の値段が上がった頃だったんじゃないかなと思います。いずれにしても、お酒を買って飲むことには不自由しなくなったわけです。すぐに毎晩飲むようになりました。
当時よく飲んでいたのは、ジンとウイスキーです。ジンにライムジュースを入れて、炭酸で割る。これをジュースのように飲んでいました。あと、日常的に飲んでいたのが、宝酒造のレモン味の缶チューハイです。あれも好きでした。もちろん、酒の名のつくものであれば、何にでも手を出しました。
自分は酒好きで「酒飲み」と捉えてましたし…本当は20歳になるまで、飲んではいけなかったのですが、社会全体の風潮も、高校卒業したら飲んでもいい、ということになっておりまして、もう、おおっぴらに飲んでいました。
やはり、今から考えると、普通ではありませんでした。毎晩自分で酒を求めて、自分で買って、手元に必ず酒を切らさずに置いておくようになっていました。もう「ないと落ち着かない、ないと寂しい、ないと嫌」みたいなことになってたんですね。これは、アルコール依存症がもたらす悲劇的な面の、1番強いところではないかと思うんですけれども、酒が最大関心事になっていました。自分では気がつきませんでした。そこも悲劇かと。
せっかく猛勉強して入った大学で、本来であれば、キャンパスライフの幸福というか、一気にいろいろな世界が開けるときです。当時はバブル末期の時代で、女子大生というのはどこに行っても、もてはやされました。それに、世間からどう思われようとなにせ若い。夢というか、まだ未来は無限大にあるように感じることができ…たはずなのですが、夢よりも恋よりも友だち、いかなる人間関係よりも、私の関心は酒というものに向いていました。他のことは、酒を飲むことの片手間ぐらいにしか考えられなくなっていたんですね。しかも、それに気づかず、周りも気が付かない…そこがアルコール依存症のいちばん悲惨な本質かな、と思います。