旅先の散財—Why?
旅行すると財布のヒモがゆるくなる。
もちろんあなたもそうでしょう。日本人なら。
日本人たるもの、旅行となれば無意識のうちに散財する覚悟をしているハズ・・・
・・・なんて決めつけるのはよくない。でも心当たりがある人も多いのでは?
日本人が旅で散財するのには、理由があるのだ。
まず「みやげ」というもの。そもそも「みやげ」には、「餞別」に対するお返しという意味合いがあった。
だが、現在ではその意味合いは薄れ、ある種の「気配り」やたんなる「旅の楽しみ」へと変化しているようだ。
会社員が旅行をした場合を考えてみよう。
有給休暇をとれば、箱入りのお菓子の1つも買ってくる人がほとんどだろう。
「24個入りではちょっと足りないな。36個入りならちょうどいい」なんて。
これは、多分に「気配り」的行為である。
ところが、休暇をとらなくとも、「○×へ行ってきたから」
と、みやげを配る姿もよくみかける。
これも「気配り」かもしれないが、どちらかといえば当人の楽しみであるように思われる。
旅先でみやげものを選ぶのはちょとした楽しみなのかもしれない。
あるいはみやげ話のきっかけにしたいのかもしれない。
いずれにしても、「みやげ買わなきゃなあ」というセリフを、心からめんどくさそうに、あるいは嫌そうに言う人というのは、あまり見たことがない。
また旅先では普段と違って、節約しなくなる。
ダイエットなど棚上げ。よく飲み食いする。
昼食にビールを飲み、食後にソフトクリームをなめる。
目新しい地元のお菓子を見かけると、つい買ってしまう。
酒飲みなら地ビール・地酒のチェックは欠かすまい。
「せっかくここまで来たんだから」と予算に余裕をもたせた分も結局使い切る。
海外旅行ともなると、その勢いに弾みがつく。
世界的にみて、日本ほど物価の高い国はそうそうない。
何を見ても「安い、お買い得」と思うのは、いたしかたあるまい。
日本ではとうてい泊まれない高級ホテルに滞在できるし、いいレストランで贅沢な食事をしても、さして懐は痛まない。
となれば、チップをはずむのだってやぶさかではない。
ウキウキ。大いに飲み食いし、かつ盛大に買い物をする。
かくして世界中どこへ行っても日本人は「いいお客さん」として歓迎されている。
近頃は、われらがニッポン人も海外旅行に慣れて、以前ほど金を落とさなくなったようだ。
だが基本的なメンタリティはそう簡単には変わらないだろう。
旅とは祭りである
さて、先に「日本人が旅で散財するのは、理由がある」と書いたが、その理由とはなにか。
ひとことでいえば、
「日本人にとって旅とは祭りである」からだ。
祭りは、日常を脱して蕩尽するイベントである。
テンションを高めて大騒ぎし、ごちそうを食べて酒を飲む。
その日のための特別な「おこづかい」を使う。それが祭りだ。
そう考えれば得心のいくことがいくらでもある。
例えば、日本独特の風俗、社員旅行というものを思い起こしてみよう。
あれは多くの場合、旅行でもなんでもない。
行き先など、どこでもいい。やることは同じだから。
まず、バスで温泉地なり避暑地なりに向かう間に酒がふるまわれる。
おおっぴらに朝酒、昼酒をかっくらえるのは、それが祭りである証であろう。
目的地に着いたら、いうまでもなく宴会である。しかも、無礼講。
その他のレクリエーションは、ほとんど「つけたり」にすぎない。
さらに観光地の様子を思い浮かべてみるといい。
温泉地は、とりわけお祭り騒ぎの本場だ。
それでなければ、射的と芸者とストリップが生き残る理由がなかろう。
それに観光地のみやげ物屋、あれは縁日の名残りである。
並んでいる品物を見ればよくわかる。
地名入りちょうちんやキーホルダー、妙な置物、派手な包装の菓子や漬物・・・キッチュそのもの!
どこへ行っても同じようなものが並んでいるのがおもしろい。
見るたびに、縁日の露店のようだと思う。
なぜ旅=祭りであるのか
それにしても、なぜ日本人にとって旅は祭りであるのか?
われわれは農耕民族である。
自分の住処を離れる行為は、日常からの逸脱を意味する。
旅が祭りになるゆえんは、そんなところにあるのかもしれない。
もうひとつ、多くの場合、私たちが短い旅しかしないことも、その傾向に拍車をかけているように思う。
おそらく日本人は、人類始まって以来、最も忙しい旅をする人種なのだ。
もっとも、長旅で蕩尽したら破産してしまう。
そこで、年に数回、あるは何年にいちど短い旅に出る。
道路が混みあい、宿が割高で、目的地が人、人、人の山でも別にいいのだ。
お祭りなのだから。
こうして、休めない日本人は、旅というお祭りで蕩尽して日常生活に戻っていく。
みやげを買うという行為は、旅を終えて日常に戻るための儀式なのかもしれない。
そうしたわけで、旅に出かけて財布のヒモがゆるくなるのにはちゃんとした理由があるのだ。
旅行で破産した、というハナシは聞いたことがない。
ささやかな蕩尽を大いに楽しめばよいのではなかろうか。