(今回のアル中本)
タイトル 心が雨漏りする日には
著者 中島らも
出版社 青春出版社
(あらすじ)
作家、中島らもさんの、アルコール依存症とうつ病、躁状態との長年の付き合いを綴った自叙伝的なエッセイ。
「親父が躁うつ病だった」という書き出しから始まり、アルコール、クスリとの出会い、うつ病の発症、後に過剰と分かる処方薬、躁転・・・
終章は「終 予後は視界良好」で、口述せずともこの本が書ける程度に回復した様子がうかがえる。
(ひとこと)
いろいろな感想が湧き出てくる! ・・・には違いないが、この本を手に取られた方とぜひ分かち合いたいことは、
壱。らもさん、やはりアルコールは完全に抜けばよかったのに(もちろんそれは彼自身が決めること)
弐。「処方薬に気をつけろ!」
「壱」。らもさんはアルコール依存症と診断され、自分でも認めている。アルコールを手放す決心をするかどうかは、本人の自由だ。これはもう個人の自由と尊厳に関わることである。「飲むも飲まないも本人の自由」はその通り。とはいっても、アルコール依存症というのは「個人の自由と尊厳」を奪う病気なのだ。
1度くらい本気で飲まない生き方に取り組んでみたらよかったのにと思う。
「弐」。処方薬には本当にご注意を。
本書の175ページから178ページにらもさんが10年間、飲み続けていた処方薬のリストが載っている。私もアルコールがとまってから約4年間精神科へ通院し、パキシルというSSRIを服用した。当時、副作用が軽いとされる抗うつ剤だったけれども、効いたかどうかは私自身では分からない。今から思えば「もっと早くに服用をやめてもよかったかな」とは思っている。でも服用していてよかったのかもしれない。本当に分からない。
アルコール依存症の自助グループに通っていると、病院で処方される薬とつきあう難しさを感じる。アルコールがとまっても処方薬でダメになる人がかなりいる。処方薬に関する限り、安易に処方されすぎているきらいがあるし、服用するほうも無頓着に服用しすぎる。
それはともかく、らもさんに与えられた処方はひどすぎるのではないか。
その処方を受けた10年間の不調は多分、薬害だ。
医療や薬剤についてずぶのド素人でもアルコール依存症の当事者なら分かることがある。
まず、「アルコール依存症の患者には処方していい薬と悪い薬がある」こと。
とくに完全断酒に踏み切れていない患者の場合、アルコールと処方薬を両方飲むからだ。99%くらいの確率でそれをやる。
また「精神薬を服用している期間、アルコール飲用は厳禁としなければならない」。
アルコールが脳に与える影響を考えれば、どんな精神薬にせよ、アルコールとの併用は害になるに決まっている。
作家の山本文緒さんが「再婚生活」というエッセイ集の中で、うつ病の闘病日記を公開していた。読ませてもらいながら「ずいぶんお酒を飲むなあ。抗うつ剤と併用で大丈夫か?」と心配になった。その後、うつ病が寛解されてからのエッセイの中で「お酒をやめた。特別なときに、ほんの少しだけ飲むことにしている」とあり、本当によかったと思った。
山本文緒さんはアル中じゃなかったのね?・・・こうしてみると。やっぱり。
らもさんも好きだが、文緒さんの作品も好きなのでまだまだ書いてほしい。
人はみな、ある程度の年数を生きれば、一家言ある、というか「自分の経験に即してこれだけは他の人に自信をもって話せる」というネタがあるのではなかろうか。
そして「なぜ、他の人はこのことを真面目に考えないのだろうか、大切なことなのに」と思うものではないか。
私はアルコール依存症当事者として、以下2点、自信をもってお伝えしたい。
一、アルコール依存症は病気であり、また回復可能な病気である
一、処方薬にはご注意を。必要性を見極め、服用する本人だけでなく、周りの方も気をつけて観察することが大切。セカンドオピニオン、サードオピニオンも受けるつもりで。
この本の話にもどると「心が雨漏りする日には」のタイトルも秀逸。アルコールや薬物の乱用、躁状態によって引き起こされる珍騒動が軽妙な筆致でさらっと描かれ、大変だろうと思いつつも、笑ってしまう。これだけの内容を、一気に読めてしまうエッセイにできるのはやはり彼しかいないかも。らもさん、やっぱり死に急がれて残念。
・ スリップ防止度 ☆☆☆
・ 飲酒欲求発生度 ☆
・ 総合評価 ☆☆☆☆
(記:2018年4月16日)