遠き未来 なくても 今日と明日ある 年の暮れ
すみませんねと ピッチャーで頼む ウーロン茶
(正月のごあいさつ)
今年は家族が増えた。その名は幸一(こういち)。駐車場の真ん中で四本の細い足を踏ん張って立ち、声の限りに鳴いていた。ひどい風邪をひいて目も開かない。数日内にはカラスのエサになるはずだった。この辺では、多くの野良の子猫がたどる道である。今は「幸一」と呼ばれると振り向き、家の中を駆け回っている。いくつもの偶然が重なったのだが、運命の不思議さをつくづくと感じる。ちなみに名前は、暴れるくらい元気になるよう、故人になったが、千葉県の有名な政治家からいただいた。
(二〇一七年十二月某日 すばらしき哉 この命)
ぬいぐるみの 隣で目覚めて 実家かな
忘れたく ないこと 増えて 忘年会
(如月のごあいさつ)
今年は満年齢が五十の大台にのる。我が人生を振り返ると何かを「やめたとき」「手放したとき」こそ、良い転機だった。酒、会社、独身生活、不要な勉強や人間関係などなど。手放すのは痛みを伴うけれども「新しい酒は新しい革袋に盛れ」とは前世紀からの言い伝え。古い革袋は手放し、新しい革袋に良いものを入れよう! ただし酒以外。良いものなんですけどね、酒。
(二〇一七年一月某日 祝! 酔いざめ川柳十六周年)
猫 コーヒーの 湯気を 狙って 冬の朝
なんとなく 幹事 まわってこなくなり
(弥生のごあいさつ)
確定申告の時期がやってきた。昨年、個人事業主たらんと開業届を出していたので決算してみた。なんと! 売上高が百万円を超えて目標達成。経費を引くと所得はその半分になるが。昨年は人を介していただいた仕事と、以前からの顧客から頼まれたことを楽しく務めさせてもらっただけだった。自分で望む仕事につくのも幸福だろうが、人様から望まれて仕事をこなすのは望外の幸せだった。
(二〇一八年二月某日 人生に無駄なし!)
取られずに いたしかゆしの 確定申告
ずいぶんと 迷子になって 断酒道
(卯月のごあいさつ)
田舎で酒害者として活動していると、当事者よりも家族からの訴え、相談が多い。あらん限りの知識や経験をもってお話するが、解決するものではない。
どうしたものか考えあぐねていたところ「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉に出会った。不確実なものや未解決のものを受容する能力、の意。これだ、と思った。これこそが、酒害に苦しむ家族に相対したときに「一日断酒」で生きる酒害当事者が求められる力だ。
(二〇一八年三月某日 紹介は、作家で精神科医 帚木蓬生さん)
酒の夢 遠ざかってや 桜 散る
酔い覚めて 五年 十年 二日酔い
(皐月のごあいさつ)
珍しく良い夢をみた。なんと、漫画家の西原(さいばら)理恵子さんと共著を出すことになったのだ(注:睡眠中の夢ですから。念のため)。酒害当事者として、断酒にまつわる著書を出してみたいと常々考えている。けれども仲間から繰り出される体験談を超えるものは、きっと書けない。体験談はライブが命とはいえ、なんとか形にして残せないものかといつも思っている。
(二〇一八年四月某日 ウグイスの 歌 上手くなり 衣替え)
雑草が 騒々しくも 春を告げ
敗北の もてはやされる 例会場
(水無月のごあいさつ)
地元の若い人たちとWebサイトを立ちあげた。地元のさまざまな情報を発信していく。金主はおらず、とりあえず自分たちの持ち出し(断酒会の会費と同額ぐらい)で運営する。「今時の若い者は・・・」は古代から言われてきたセリフだが、私がここ数年、活動や仕事を共にしてきた若い人はみな偉い。厳しい条件でも真面目に働き、気配り満点だ。私は若かりし頃、酒ばかり飲んでおり、彼、彼女らの十分の一も働かなかった。まったくの不覚であり、これからとりもどしたい。
(二〇一八年五月某日 「南房総ex-press(エクスプレス)」というサイト名です)
初恋の 相手な 気がする バドワイザー
一生分 会費の元 とり終わって 今 ウーロン茶
(文月のごあいさつ)
長いキャリアを持つ男性アイドルグループのメンバーがお酒の問題を起こした。あれは病気なので気の毒だ。命を落とす前に、早く例会に参加してほしい。
日本の社会では、公私の場を問わず飲酒の問題を相手に告げることが難しい。が、酒で迷惑をかけられたら、もっと怒ってよい。私もそうしようと思うが、なかなかその機会に遭遇しない。私のようなひどい酒飲みが、そうそういるものか。自分がいかに迷惑をかけてきたか、よく分かる。
(二〇一八年六月某日 J事務所に全国大会のチラシ、送りましょう!)
あさっての 洗濯できぬか 梅雨の晴れ
友 逝きて あの世の 怖さ ひとつ減り
(葉月のごあいさつ)
本誌「房総」編集委員を長く務められた佐藤英弘さんの訃報を受けた。
初めてお会いしたのは私が司会を務めていた明会場。佐藤さん曰く「節酒でがんばります」。正直な方だと思った。しばらく後、同じ例会場で「節酒はだめだった。断酒する」とお話された。その後は、我孫子断酒会の会長、房総編集委員を務められ、信頼される断酒会員として活躍された。アル中には珍しくマイルドな人柄で、もう現世でお会いできないと思うととても寂しい。(合掌)
(二〇一八年七月某日 人生を終え、回復者としての栄誉を受く)
猫 いちばん 涼しい場所で 伸び寝中
半世紀 半分使って 飲んで 断酒(やめ)
(長月のごあいさつ)
六月で満五十歳になった。半世紀生きたとは驚き。と同時に酒がとまって本当に良かったと思う。アル中の平均寿命は五十一、二歳と言われているが、女性はもっと短いのではないか。酒を手放せないまま生を終えるのはやはりつらい。
残された時間でアルコール依存症からの回復の道のりを伝えたい。これまで酒を飲むことに十五年、断酒に十七年の歳月をかけた。まさしく「半生」を使ってきたのだから。
(二〇一八年八月某日 カレンダー 半分 減って 夏真っ盛り)
台風で なぜか 堂々 手抜き飯
案外と 疲れ コーラで 癒えるもの
(神無月のごあいさつ)
ちっとも遊ばないうちに夏が過ぎた。歩いて行ける海水浴場にも行かず、花火にもお祭りにも参加せず、日常に追われた。けど、それが何よりではないか。飲んでいた頃は日常こそが敵。遊びやお祭りの非日常を頼りに生きようとしたがそれもちっとも救いにならなかった。日常こそが生きる妙味で冥利。この夏をビールなしで過ごしたすべてのアル中に乾杯!(麦茶で)
(二〇一八年九月某日 猛暑で出不精になったのがホントのところ)
いろいろと 昭和で 止まる 田舎かな
今日一日 崖っぷちに立ち 十七年
(霜月のごあいさつ)
十月に十七段の表彰状をいただいた。「ありがたい」のただ一言!
昨年の表彰から早や一年。「休みたい、遊びたい」とぼやきながら駆け抜ける日常のすばらしさ。一日断酒を続け、飲んでいたころの魂の負債を少しずつ返すことができている(ような気がする)。これからやっと、もらう人から与える人になるための成長の時代に入るのだ、きっと。
(二〇一八年十月某日 酒 断って あとは野となれ山となれ )
食い終わり かえって 腹減る カフェの飯
世間とは ちがって 熱燗(あつかん) 人気なし
(師走のごあいさつ)
十月十四日、千葉ポートアリーナにて千葉県断酒連合会主催、全国大会開催。一会員として参加させていただき、たまの機会に会える仲間の平穏な顔を見て感無量。幸か不幸か、ここに集った仲間は同じ病気で苦しむ大多数の中では超エリート。ここにも各地の例会にも集えない仲間を取り込むことが私たち選良の務めである。頑張ろう。
(二〇一八年十一月某日 次に千葉主催の全国大会に生きて出られるか? )