五十円で 知る 消息 深し 年賀状
年明けて また少し遠ざかる あの一杯
(新年のごあいさつ)
今年はやりたいことが盛りだくさん。アルコール依存症者は、飲んでいた頃に作った物心いろいろな面での借金を返済する必要にせまられる。けれどもある時期を迎えたら少しずつ自分のために投資して生き方を調整してよいのではないか。借金を返しつつ自分のためにも遣って資産を増やし、また返せる額を増やせばよい。返済の過程そのものが回復への道のり。完済できないかもしれないが、誠意をもって返し続けたい。
(二〇十三年十二月某日 資産倍増も夢でなし)
杖の人 抜かず 歩みを かみしめる
ボージョレーヌーボが 往(い)って 一番搾りの清酒が来
(如月のごあいさつ)
自分の拙文をホームページやブログで発表したいと思っているがはかどらず。あれもこれもと気持ちばかりは膨らむのに行動に移せない。着々と書き溜まっていくのは、この酔いざめ川柳の原稿のみ。発表できる場があることのありがたさ! 自分ひとりで出来ることの小ささを痛感する。当然、断酒も。
(二〇十四年一月某日 祝! 酔いざめ川柳十二周年)
いつの日か 渡してみたし お年玉
節分や 胸中の酒魔 追い出さず
(弥生のごあいさつ)
バレンタインデーが近い。いまどきのワカモノは好きな相手に自分の思いを打ち明けることを「告(こく)る」と言う。なかなか好い言葉ではないかと思うけれど、やはり中高年には似合わない。私が酒のせいで失ったチャンスは数知れないが、かえすがえす惜しいのは恋の修練を積まなかったことと、ディスコのお立ち台でパンツを見せて踊らなかったことである。酔っぱらってパンツを見せたことはあったのだが。
(二〇十四年二月某日 義理チョコどうしようと悩ましい)
雪だけが 呼吸(いき)して 音 消し 世を覆い
「今日だけ」と 毎日騙され 一日断酒
(卯月のごあいさつ)
卒業シーズン。自身のことを振り返ると、小学校、中学校、高校、大学、と次第に感動が薄れた。最後の卒業式に至っては、ぼろぼろ。あれから、二十三年。今は断酒会という学び舎にいるが、ここに卒業はない。ひょっとしてあの世に行っても通わなければならないのでは、と近頃思っている。
(二〇一四年三月某日 そんな断酒会に騙されて♪)
とりあえず 置いたら 今でも 片付かず
呑まれたと いうより 憑かれた 酒と生き
(皐月のごあいさつ)
千葉県南房総市に引っ越した。思えば子どもの頃からこの地で過ごしたかったのだ。なぜもっと早くにそうしなかったのだろう。「今日一日」酒を飲まないで生きていたら自分でも忘れていたり気づかないでいたりした望みが、幾つも叶った。いつも思いもよらない形で叶ったけれど、最も長く、強く持ち続けていた望みは「酒から離れたい」だった気がする。
(二〇一四年四月某日 まだまだ望みがたくさん)
車間距離 ベンツの後ろで 急に開(あ)け
打ち寄せる 波 ビールに見立て 逃げて楽しむ
(水無月のごあいさつ)
毎日、足が浜に向く。海の色は見るたびに違って見え、しかも刻々と変わる。エメラルドグリーンとか鈍色(にびいろ)とか、大雑把に言い表すことはできても、言葉で表せるのはほんの一瞬の状態にしかすぎず、それすら不正確でおぼつかない。この不確かな瞬間の連続が「生きる」ということかと少し恐怖し、また歓喜する。
(二〇一四年五月某日 十二年ぶりに車を運転しました)
夏なのに 白いTシャツ 着なくなり
酒の神 海の神より 溺れさせ
(文月のごあいさつ)
田舎ではご近所づきあいが多い。五月の連休中は、地域で子ども向けのイベントがあり、私はヨーヨー釣りを担当した。四十人弱の子どもが来てくれた。子どもは大人よりも個性が露骨に出るから見ていて飽きない。思い通りにふるまう子、自分で決められない子、大人に気を使う子、慎重な子、考えずに動く子。面白かったがくたびれた。人の子の親は皆、偉大なのだとつくづく思った。
(二〇一四年六月某日 大人になっても飲みすぎないようにね!)
酒だけは 使わず あれこれ梅(うめ)仕事(しごと)
麦茶では 大ジョッキなど とても無理
(葉月のごあいさつ)
ひと月半かかった家のリフォームが終わった。ところが完了報告のあったその日の晩に大雨が降り、一階の天井から雨水がぽたぽた。以前は漏っていなかった場所だ。修繕の過程を見ていると、古い家を直すのは一から建てるよりも大変なのだとよく分かる。アルコール依存症からの回復は、人間まるまるひとり分のリフォームだ。楽しく直していこう。人生は更地にもどすわけにはいかないから。
(二〇一四年七月某日 多少、普請がまずくても自分ですもの)
学校の 水色ペンキの プール恋う
炎天下 酒缶 拾って 業 減らし
(長月のごあいさつ)
「一言コメント」コーナーの原稿用紙をいただいたので「一番美味しかった酒」について思いを巡らせたら止まらなくなった。一時間で十回分書けそうである。いまだ酒に未練たらたらなのかと嘆息。けど、よいではないか。恋と同じ。いかに恋おうとも、もはや触れるわけにはいかない。酒と私とはそういう運命だったのだ。
(二〇一四年八月某日 「断酒新生」のほうはそんなに書けません)
これでもう 刺され納めと 蚊を 逃がし
空よ 地よ さあ見てくれろ 十三年
(神無月のごあいさつ)
十月表彰で十三段をいただくが、いまだに酒を飲む夢をみる。自分のコンディションに関係なくおよそ三か月に一回、夢の中でウィスキーやビールを飲む。残念ながら例外なく「悪夢」だ。美味かった試しがない。「これまで断酒していたなんて嘘だった。そうだよな、私に酒がやめられる訳がない」という強烈な絶望感が残ったまま目が覚める。最初の数年は嫌だったが、いまはありがたいと思うようになった。多分、私に必要なことなのだ。
(二〇一四年九月某日 今日も奇跡の一日断酒)
君 いったい どこから入ったと ハエに聞き
酒 抜けて 心酔わせる 月に 会い
(霜月のごあいさつ)
なんと。この「房総」が五百号。四十一年も続いているとは。
手渡しの 断酒の誉れや 五百回
この(新生)紙(房総)は 命を救える 力 持ち
(二〇一四年十月某日 これからも「やろう、やろう、やろう!)
アレンジに お金がかかった 残り物
この病気 自分で自分に 伝染(うつ)すもの
(師走のごあいさつ)
今年は、ありていにいえば「嘘つきね」ということで世間を騒がせた方が印象的だった。とくに科学者の方と音楽家の方と県会議員の方である。私は腹を立てるのは後まわしで、つい笑ってしまったのだが不真面目だろうか。私も酒のためにあのくらいの嘘はついたような気がする。お金も地位も名誉も欲しくなかったが、ひたすら酒が飲みたかった。やむを得ず嘘をついたけれども、私としては必死だった。嘘は飲酒の元。とくに自分につく嘘は。
(二〇一四年十一月某日 来年のテーマは「正直」にしようかな)