晴れ晴れと ペリエの屠蘇を 愛(め)でて 初春
誰よりも よく働いたのは 炊飯器
(新年のごあいさつ)
同世代の友人たちから年賀状が届く。まだまだ赤ん坊の写真付きのものが混じっているので感心。飲んでいた頃は赤ん坊なぞ「だから何だ」としか思わなかったが今は「しばし目が離せなく」なってしまう。飲んでいた頃は生きることが苦痛だったが、今はそうではない。生まれたばかりの新しい命は無条件に喜ばしく、ただ希望あるのみ。
(二〇十二年十二月某日 なぜか私が抱くと泣く)
景品の ビールのグラス まだ残り
安穏と 恋の祭り バレンタインデー が 通り過ぎ
(如月のごあいさつ)
今年もまたシラフで迎えられてうれしい。かつて私の人生最大の願いは「酒を上手に飲みたい」だったが今は「酒を飲まずに過ごしたい」に変わった。酒が止まったあの時、やはり私は新生させてもらったに違いない。でなければ人生最大の願いがこれほど変わるはずがない。
(二〇十三年一月某日 祝! 酔いざめ川柳十一周年)
何もかも スマホに頼る 不甲斐なさ
酒魔 部屋の 隅に ひっそり冬眠し
(弥生のごあいさつ)
今年のはじめにひそかに立てた誓いは「気分よく生きる」。せっかく飲まない生活が続いているのに、少し前まで心が晴々としない日が続いていた。原因が分からず、不思議だった。けれど年末に突然「これは、よりよく生きるためにどうすればよいのか」考えるチャンスなのだと気づいた。まずは曇ってしまった自分の心を磨いてみることにしよう。鏡を磨くように。
(二〇十三年二月某日 街 雪化粧して 人おおわらわ)
分からなく なって 諸行無常の 雪だるま
酒による アナフィラキシー 防衛喪失 とは つゆ知らず
(卯月のごあいさつ)
あるところで自己紹介の文を書いた。持っている資格はいっこうに役にたっておらず、趣味はヨガ、読書、旅行、とこれまたいっこうに人の役にはたたないことばかり。うすうす気づいてはいたが、私は道楽者の素質大。治るまい。これからも自分本位に生きていきたいと思う。
(二〇十三年三月某日 自分は取り替えられず)
豚汁で いっきにかたづく 冷蔵庫
ひしゃげても 離脱より楽 春風の吹く
(皐月のごあいさつ)
ある保健センターのイベントに参加してアルコールパッチテストコーナーを担当。テストを受けた方々に判定の結果を説明しがてらお酒との関わりをお聞きした。「機会飲酒」で「ふだんほとんど飲まない」というお答えがほとんど。しかし何人かが怪しかった。酒量を答えるときに「あ、本当のことをいっていないな」と感じたのである。とっさに「まったくのウソも言いたくないけど、本当のことも言えないからこのくらい」と計算したのだと推測。私もしょっちゅうやっていた。その頃は酒でつらかったし疲れていた。
しばしご縁のあった方の健康と幸福を祈る。
(二〇十三年四月某日 木々の芽のふくらみに心騒ぐ)
飲み会は 長引くことが 価値と知り
マスク屋の もうかった 冬 春 過ぎて 来たぜ 初夏
(水無月のごあいさつ)
久しぶりに職場の飲み会に出席。顔だけ出してさっさと抜けるつもりが、四時間近く居続けた。とくに盛り上がったわけではないが、まあ、可もなく不可もなく。この年齢になってやっと知ったことのひとつに「人間関係を築くにはそれなりの手間暇がかかる」ということがある。なんということもない時間を一緒に過ごすことが案外、関係性を築いていく第一歩なのかもしれない。
(二〇十三年五月某日 アイス緑茶とマンゴーソーダ)
新緑や 緑に無限の色の数
酒はもう 遠い花火のように 愛で
(文月のごあいさつ)
先月は千葉県の南房総、群馬県の水上温泉、と二回も遠出する機会に恵まれた。海や山や渓流の美しさをもっと堪能したかったのに時間切れ。惜しみつつ帰途についた。
飲んでいたころも度々自然の力を借りて「自分をなんとかしよう」と目論んだけれど全部失敗。必要なのは癒しではなかった。「酒を手放すためならなんだってする」という決断だけが必要だった。
(二〇十三年六月某日 雨の日にはお気に入りの傘を)
初物の 蚊を 叩こうとして 手がとまり
自分の値 見積もり違えて 西日かな
(葉月のごあいさつ)
用向きがあって新宿の紀伊國屋書店に出かけた。大きな書店を見て回るのは久しぶりで心躍った。美しく並べられた本、本、本。手にとって読んでみたい本がありすぎて、どうしてよいのか分からなくなり一冊も買わなかった。しらふに戻ってからの読書は飲んでいた頃とまったく違う。残りの人生すべて使っても読みきれない本があると思うと、それだけで飲まないで生きていく楽しみがあろうというもの。もちろん楽しみは他にも山ほどあるけれども。
(二〇十三年七月某日 図書館の本の貸出期限がもうすぐ!)
ソーダ水 氷の割れる 音 涼し
飲まなくて 濃い水割りに似た 至福あり
(長月のごあいさつ)
大口連合会長を偲び。
お話を伺うたび元気づけられた。いつも明るくすっきりとしたスピーチを聞かせていただいたけれども、ある時めずらしく意気消沈した様子でお話された。会社の人事異動で何年も望んでいた異動が今回も叶わなかった、とのこと。この時のスピーチが一番私の心に残っている。正直にありのままに生きることがアルコール依存症からの回復の肝。あの時の大口さんはとてもカッコ良かった。
(二〇十三年八月某日 あの世の例会でお会いできるはず)
洗濯物 干して 自分が先に からからに
まだ借りを 返せぬままに 十二年
(神無月のごあいさつ)
下町のナポレオンが受難。「むぎ焼酎『いいちこ』に毒をいれた」と書かれたハガキがメーカーに届いたため、四~五十万本の同商品が回収されるとのこと。いったい誰が何のためにしたことだろう。もしかしたらアル中のしわざか。愛憎相半ばするというやつで。そういえば、酒は私にとって分の悪い恋愛に似ていた。苦しくて離そうとしてもそれ無しではいられない。離れてみるとおおむね懐かしく、それでも複雑な感情が湧いてくるところも、そっくり。
(二〇十三年九月某日 次の巳年もぜひ、しらふで)
意地張って 電車で スマホ 見なくなり
台風の 被害 自分の 酒害に似
(霜月のごあいさつ)
実家の書棚で三浦綾子著「塩狩峠」を見つけた。中学生の頃この本を読み、真剣にクリスチャンになろうと考えたことを思い出した。究極の自己犠牲にあこがれたのは若い頃の純真さであったろう。その裏には死への恐怖や卑小な自分から解放されたいという願いもあったように思うけれども。今は強烈な自己犠牲はできなくとも「小さな私」として分に適う奉仕をしながら生きていきたいと思っている。
(二〇十三年十月某日 酒害は台風一過のようにはいきません)
見せるより 隠すが お洒落 早 幾年
(師走のごあいさつ)
父が右手足の麻痺でリハビリテーションを受けている。療法士の説明では「どんなに頑張っても、どうしても時間がかかる」とのこと。アルコール依存症からの回復も同じ。近道はなく今日一日、一日断酒で生ききることを続けるしかない。不治の病とはいえ、自助会という最高のリハビリテーションの場を得て私は幸せだ。ここでは全員が療法士で、かつ患者。しかも生涯続けられる。
(二〇十三年十一月某日 みんなで発症前より幸せに!)