哀れかな ラッシュにもまれる ビジネス書
飲まなけりゃ まあ長いこと 酒の席
(正月のごあいさつ)
宝焼酎「タカラカップ」を見つけた。赤いキャップに青いキャップ。なつかしさのあまり目頭が熱くなった。しかし見つけた場所が問題だ。職場近くの客の多いコンビニエンスストアなのだが、なにせ、お江戸のど真ん中。となりは日銀。向かいは都銀本店、ぐるっと見まわしてもわが国を代表するビジネス街が広がる。誰が買うのだ?「タカラカップ」。以来いつもチェックしているけど店ざらしになんかなっていない。いつも補てんされ、行儀よく並んでいる。謎だ。
(二〇〇六年十二月某日 道ばたで野良猫と遊ぶ)
我ながら 冬眠するのか 食いに食い
飲めそうな 顔といわれて 舌を巻き
(如月のごあいさつ)
酔いざめ川柳を掲載していただくようになって早や、五年。ふと思いついて、これまでの原稿をならべてみたら結構な量になっていて驚いた。コンスタントに続けるというのはそういうことなのだ。一度にはできない、短期間には決してできないことが「少しずつずっと続ける」ことで成し遂げられる。まあ、川柳は書いた結果が大量になったからといって値打ちのでるものではない。もうネタが尽きたかもしれないとしばし感じるが、続けられる間は続けさせていただきたい、と心から思う。
(二〇〇七年一月某日 祝 酔いざめ川柳五周年!)
失敗じゃ ないが まったく 気が利かず
今日もまた アル中 込みで 生きており
(弥生のごあいさつ)
そろそろ私の好きな梅の花が咲きはじめる。冬の青い空に小さな花がよく映える。かすかに甘く清涼な香りも好い。平安時代の女流歌人である式子内親王はこのような歌を詠んだ。
ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅よ我を忘るな
八百年の時を隔てても、一度読むだけで思わずうなずいてしまう。言葉や文字の力に恐れ入る。
(二〇〇七年二月某日 ・・・千年残れ、酔いざめ川柳)
ラーメンは 鍋から食べる 独りもの
ああそれは 仲間だ仲間だ 間違いなく
(卯月のごあいさつ)
「実は近くにアルコール依存症と思われる人がいる(いた)」という話を、たてつづけに聞いた。そのすべてのケースにおいて病識がなく、自助グループにもつながっていない。アルコール依存症は実はとても身近な病気であると思う。誰に聞いても一族に一人や二人は酒に問題がある人がいるのではないか。酒で行き詰まっている未来の仲間が一日でも早く、ともに断酒の道を歩きだすことを祈っている。仲間は多ければ多いほど楽しいにちがいない。
(二〇〇七年三月某日 梅見の春、湯島天神の絵馬の数に驚く)
父母に書く 手紙は なぜか なぐり書き
ぐい飲みを もらって うまし 初麦茶
(皐月のごあいさつ)
新しい仕事に就いた。千葉県内の病院で、酒害相談を専門とする相談員として経験を積ませていただくことになった。いったい自分に何ができるのかと迷った。アルコール依存症者に「酒をやめさせる」ことは誰にもできない。けれども、この病気から回復することはできる。今日一日、飲まない人生を楽しむこと。そのためには自助グループが必要なこと。そう伝えるだけ。私にできるのはそれだけだ。また、それだけでいい。おそらく。
(二〇〇七年四月某日 常盤平さくら通りの花見を楽しんだ日)
夜爪(よづめ) 避け 出爪 (でづめ) も避けて 爪が伸び
桜時 (さくらどき) 万歩計の歩数 伸びなやみ
(水無月のごあいさつ)
つくづく「私も中年になったなあ」と思うことがある。見知らぬ人と抵抗なくおしゃべりするようになった。健康に気をつけるようになった。あいさつに継いでひとこと、晴れたの曇ったの暑いだの寒いだのと言うようになった。若かりし頃はすべてばかにしていたことだ。振り返るに、酒を飲んでばかりで人間としての成長が止まっていた私である。中年らしくなってきたのはめでたいことなのだろう。
(二〇〇七年五月某日 あら、もう来月は誕生日)
逃げてない 酒に 追われて 十五年
職歴の 多くて 履歴書 二枚 綴じ
(文月のごあいさつ)
「酒に逃げた」という表現をよく聞く。そのたびにいつも「違うんだよなあ」と感じてしまう。私も、他のアルコール依存症の仲間も、酒「に」逃げたわけではない。長い間、酒「から」逃げようとしていたのではないか。必死で。 これからも酒からは逃げよう。生きんがため。命がけで!
(二〇〇七年六月某日 締め切りぎりぎり日曜の早朝)
白粉(おしろい)の 減りが早くて 加齢かな
カロリーの 高い方をとる 失業中
(葉月のごあいさつ)
己の不徳と致すところで、また失業した。フトコロは寒いけれども、いたって元気である。六畳一間に寝ころんでいると、たくさんの仲間の顔が浮かんでくる。酒を飲んで亡くなった仲間。飲まないで生きている仲間。胸につきあげてくるのは、自分はすばらしい人生を与えられた、という思いだ。アルコール依存症という病気を通して、絶望と、そして希望のなんたるかを、知ることができたから。
(二〇〇七年七月某日 華麗ではなくて加齢)
縁日や 昼酒食らう 白昼夢
カーテンを 洗うつもりが 早や一年
(長月のごあいさつ)
台風、地震と続いたためか、二〇〇〇年五月の「雹(ひょう)害」を思い出した。陽射しが突然うばわれた。続く雨、雷、雹。わずか十五分くらいの間で外の景色は一変した。路上にはゲンコツ大の氷のつぶて、折れた木の枝が散乱。雹に打たれた鳥の骸(むくろ)も。車や家やいろいろなものが壊れた。まさに打撃。その印象は強烈だった。恐怖だけではない。人知の及ばない、すべての人間の力を超えた、何か大きな力を感じさせられたからだと思う。
(二〇〇七年八月某日 被災者のためにしばし祈りを)
甲斐性の なくて 楽々 生きており
焼き鳥も 食べなくなって 早や六年
(神無月のごあいさつ)
九月で、酒を飲まない生活を始めて丸六年になる。私は飲酒をやめることはできない。だから「酒をやめた」と言ったことはない。「今は飲んでいない」だけだからだ。アルコール依存症とはそういう病気なのだと思う。死ぬまで飲む、というのが病気の本質で、自分の意志は役にたたない。
それでも、今日一日、一日断酒で飲まないで生きることができた。今、命が尽きたとしても後悔しないだろうと思う。十五年間の飲酒の苦しみは癒され、日々、生きる喜びを感じる。すばらしい六年間だった。
(二〇〇七年九月某日 これ以上 望むものなし 風の色)
かっこ悪い パンツほど 良い 履き心地
飲んでいる 人より 下品なネタ飛ばし
(霜月のごあいさつ)
暑くなく、寒くなく、気持ちのよい季節がやってきた。さぼりがちのヨガを再開してみたり、これまで縁のなかったジャズを聴いてみたくなったりするのも、このすてきな気候のためだろう。
人の世にたのしみ多し然(しか)れども 酒なしにしてなにのたのしみ
・・・と若山牧水は詠(うた)った。三回くらいウンウンうなづいた後、ふと思う。
いやあ、たくさんあるって。
(二〇〇七年十月某日 秋の風を愛する)
転がって 生きて 倒れて 体験談
茶をのんで やっぱり口から 近づける
(師走のごあいさつ)
今年もよい年だった。特に年の後半、よく思ったのは「ただ生きていたい」ということだった。しいてつけ足すとすれば「ただ、私として」。今この瞬間、生きていられて、本当にうれしい。おそらく私は人生を愛しはじめたのだと思う。
(二〇〇七年十一月某日 新しいトレンチコートに袖を通す)