年金を 納めて 小市民に成り上がり
干支思い 年女かと びくびくし
さあ祝え ケーキにクッキー チョコレート
(正月のごあいさつ)
大正生まれの私の祖母は、年齢を数え年でのたまう。だから正月に顔をあわせると、実際の満年齢に、二歳が加算された年齢を宣告される。やめてほしい。昭和から平成に変わってしばらくの間、「今年は、昭和だと六十七年だから・・・」などとやっていたが、今では換算方法もばっちりマスターしている。五十年後の私は、あんなふうに達者でいられるかしら。
(二〇〇二年十二月某日 年賀はがきを買った日)
生きてこし 大福帳は 大赤字
初夢が ディズニーランドで ちょっと泣け
はつもうで ほかの望みは やめておき
(如月のごあいさつ)
「酔いざめ川柳」も一周年。ネタが尽きると思いきや、もうしばらくいけそうだ。北米の作家、サリンジャーは作中の登場人物に「人間を絶望から救うのはユーモアだけなんだよ」と言わせている。酒が飲めなくなったからといって絶望しているわけではない。が、アルコール中毒者として生きていくには、おかし味や、かろ味が必要な気がする。
(二〇〇三年一月某日)大掃除を放りだして初詣に出かけた日)
驚きや タルトとスフレを語る 我
酒ぬけた 五臓六腑が 世を厭い
花見なら 梅がいいかな お茶が合う
(弥生のごあいさつ)
少し前まで、本が百円で手に入る場所は、そう多くはなかった。ところが最近、古本のチェーン店が現れ、百円の本が盛大に並んでいる。「著者は嫌になるだろうなあ」と昔なら感じたろうが、今は、そうは思わない。ジュース一本より安い値段で買えるなんて、昔の貸本屋のようで、いいではないか。それに、一人でも多くの人に読んでもらえたほうが、著者もうれしいに決まっている。
(二〇〇三年二月某日 義理チョコの割り前を払った日)
許すまじ グラスワインが 90円
宴会を パスするために 命乞い
回復の春遠きや 友歌う Let it be
(卯月のごあいさつ)
大変だ。「スフレとタルト」の違いを方々で問われる。先月の句のせいだ。実はテキトーに吹いていただけなので往生している。
スフレは卵白を使ってふわっと膨らめた菓子、タルトは練り生地(布ではない)を型に入れて果物をのせて焼いた菓子で、どちらも、おフランス語。種類はいろいろあるので、ぜひ、甘味処へ走って頂けますよう。
では、ミルフィーユってどんなの? ヒント。とても、食べにくい。
(二〇〇三年三月某日 抹茶ムースが食べたくなった日)
春いつも 行ったり来たり し給えり
味思い やがて悲しき 缶チューハイ
テキーラとラムと名づけて 窓の猫
(皐月のごあいさつ)
四月から隔月で、例会の司会をおおせつかうことになった。抱負をひとこと。謙虚、謙遜の心をもって諸先輩方のお話を拝聴し、よきネタを拾う。
(二〇〇三年四月某日 今日も元気だ、いいうんち)
初鰹 質草なくて 食いそびれ
酒やめて 酒屋の数が 急に増え
酒税なら 払いすぎたと 後悔し
(水無月のごあいさつ)
発泡酒の値が上がった。お上は相も変わらずアコギなもの。
発泡酒が初めて店頭に並んだ頃、ものは試しと飲んでみた。結果、「あんなの、邪道。味が安っぽい。名前もマヌケ」と言いふらした。けしからぬ発言だった。思えば当時、ビールもあまり飲まなくなっていた。腹がふくれるばかりで酔いが回らないからだ。味なんかわからなかったのだ。
(二〇〇三年五月某日 今度は喫茶店でクリームソーダを注文してみるか)
雨降れど 織姫 彦星 雲の上
回復は あしたのために たたむハンカチ
酔い醒めて 三十五年の ごみの山
(文月のごあいさつ)
あと数日で誕生日だ。ちっともうれしくないが、三ヶ月後には断酒記念日がやってくる。こっちは、第二の誕生日。この日付がずっと変わりませんように。二つの誕生日が、毎年セットでやってくると思えば、第一の誕生日だって悪くない。
(二〇〇三年六月某日 水着買うのは、もうちょっとダイエットしてからね)
休載
「この顔は 海で焼いたの」 酒でなく
プール見て これくらいは飲んだかしらと 独り言
職 ポンと捨てて 楽しき夕涼み
(長月のごあいさつ)
ビアガーデンでは、まず生ビールの大ジョッキだ。自分の顔くらいの大きさのジョッキでごくごくと飲む。と、そこまではよいけれど、引き続き五回もおかわりをするのはいかがなものか。リゾートで昼間飲むシンガポールスリングはオツなもの。だが、立て続けに七杯も飲むのは品がない。夜のショットバー。バーボンのダブルをロックで、とオーダーするのはかっこいい気がしたものだが・・・。
おかわりができないのなら、一杯も飲まないほうがましである。まじめにそう感じる私は、間違いなくアルコール中毒者だ。
(二〇〇三年八月某日 気持ちも軽いけど、財布も軽いね)
配られて 酒蒸しまんじゅう どうするか
人生の 酒やめる前 ビフォークライスト
思い出は 「あれはまだ 飲んでいた頃」 から語り始め
(神無月のごあいさつ)
このところ、まだ飲んでいた頃に知り合った人々と、会う機会が続いた。なにか、面映い感じがした。私にとって、飲んでいた頃は紀元前、最後の一杯から後は紀元後。断酒は「転機」ではなく「新生」だと感じている。
(二〇〇三年九月某日 仲秋名月、抹茶がいいねえ。自販機で売ってない?)
無職なり 自由業と書いちゃえ 職業欄
(霜月のごあいさつ)
季節の変わり目のせいか、また元気をなくした。
「酒は憂いの玉箒」という、名文句がある。使いすぎてしまったよなあ、その箒。
鬱や鬱 生きるだけなら 生きており
(二〇〇三年十月某日 おっと、ブーツはどこにしまってある?)
一杯も イカならOK 煮て焼いて
体内じゃ 肝臓ヒマだと 不思議がり
(師走のごあいさつ)
友人が写真展に自作を出品するというので、足を運んだ。銀座裏通りの古いビル。エレベーターを下りると、当の本人が受付につくねんと座っていた。
彼女は、廃工場を撮った。もう動いていない滑車、住み着いた猫、雑草におおわれた構内。荒涼とした風景に、過ぎた時間を惜しむような優しい視線が感じられた。かつて彼女は私の同僚で、ともに残業におわれる毎日を送った。今は、掃除のバイトをしながら創作をしている。
「お金にならないねえ、こんなことしてても」と、彼女が笑う。
お互いGNPには貢献しなくなったが、まあ、いいじゃん。後悔しない人生を送ろうよ。
(二〇〇三年十一月某日 今日は本当のインディアン・サマー)