
田舎暮らしに踏み出す
アルコール中毒者のぴなこです。アルコールを手放してから、自助グループへ通い、今日、飲まずに生きて23年に至るまでのところを、ざっとお話をしています。前回は、ニューヨークから帰国して、ソーバー4年から14年あたりまで、東京で生活していたときにどんな仕事をしていたのか、というお話をしました。今回は東京から千葉県南房総市に引っ越すいきさつから今までの暮らしについてお話します。
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どこへ行ってもソブラエティが生活の中心
そういうわけで、思いかけず専業主婦の生活に入ったのですが、どういうわけか体調不良が続きました。結婚して1か月もたたないうちに、虫垂炎で入院、次は子宮筋腫の治療、その後は原因不明の微熱が1年くらい続く、といった感じで2年くらいの間、外で働くことができませんでした。
率直に言って主婦の生活って自分1人で働いて一人で生活するよりも、ずっと大変だと感じました。もちろん感じ方には個人差があるのでしょうが、私などは結婚当時41歳になっていて、それまでは自分のことだけなんとかしていればよかったわけで、気楽といえば気楽だったわけです。
夫とは、うまくいっていたと思います。けれども、一人暮らしに慣れていたのもあり、人と一緒に暮らすことには多少のストレスもありました。体調が回復してから働き口を探して仕事をしたのですが、もう当時年齢的にも43歳になっていたので、体力的にもきついし、家事と仕事と、あと自助グループと…と3つやるともうキツイなあと思いました。
3つのうち、自助グループを手放すわけにはいきません。命に関わるからです。仕事は結婚しててもしなくても、しなければいけない。ということであれば、残るところは、「結婚生活を手放す」…という選択肢が脳裏にちらつきはじめました。
そんな時に、千葉県の館山市に住む私の叔父から「持ち家の1軒が空き家になったから、そこに住まないか。今なら(私の夫に)仕事も紹介してあげられるから」という話がありました。
私の夫はずっと首都圏内で生まれ育っていますので、とてもじゃないけど、こんな話には乗らないだろうな、と思ったのですが、夫の方が結構乗り気になりまして「それもいいかもしれない」っていうようなことを言い始めました。
結果的に、紹介してもらえるはずだった仕事というのは、あとで、ダメになってしまったのですが、「田舎で生活したい」という気持ちが夫婦で盛り上がってしまって、千葉県の南房総市に移住することになりました。
私としては子どものころから好きだった南房総に引っ越せるということで「結婚生活は諦めるかあ」というところから「よかったあ! 結婚して」ということになりました。ゲンキンなものです。
夫婦揃って、先の見通しもなく仕事を辞めて引っ越してしまいました。私も夫もAAのメンバーで、行った先の土地にはAAミーティングの会場がありません。なので、自分たちでグループを作ってミーティング会場を開けるということだけは、絶対的な条件というか、なにをおいてもそれだけはしなければ、ということは決めていました。
AAの活動をしっかりやることができたら、他のことはどうにかなるだろうという確信がありましたし、うまくいかなかったら、また、仕事がある場所に移動すればよいだけです。
その頃は、私も夫もそれぞれの両親と和解していて、世間一般的な実家との付き合いというものができるようになっていました。いざとなったら、同じ千葉県の都市部にある私の方の実家に引っ越して、私の親が田舎に移ればいいんじゃないか、なんていう話も親とできるようになっていました。
移住してからは、お金がなかったり、仕事がなかったり、結構たいへんでしたが、最終的には、なんとかなっています。AAのほうも、移住したその年に、南総里見グループを作って館山でミーティングを始めました。
移住当初は、やっぱり田舎だと仕事がないんで、夫婦ともどもハローワークに通って職探しに励みました。いろいろありましたが今、夫のほうは、自分の経験を活かせる恵まれた環境で働くことができています。私も最初は生活費が底ついて、真冬のレタス畑で働いたりしましたが…いえ、もともと農作業のバイトをやってみたかったというのが大きいのですが…今は、在宅である程度仕事ができるようになって、なんとかなっています。
AA南総里見グループも昨年、2024年の11月で、10周年を迎えました。
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