体験談

私のアル中体験記 飲んでた頃と、飲まない今の長いいきさつ(11)

回復と仕事と

アルコール中毒者のぴなこです。アルコールを手放してから、自助グループへ通い、今日、飲まずに生きて23年に至るまでのところを、ざっとお話をしています。前回は、ニューヨークから帰国して、2度、プログラム的な転機があったことについてお話しました。今回はその間の社会生活、どのように働いていたのかを振り返ってお話します。

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転々と食い扶持を稼ぐ

さて、帰国してからAAメンバーとしての私には大きな転機が2回あったわけですが、その間、仕事の方はどうなったかというと、アメリカから帰ってきた直後は、ほんとにお金なくて大変でした。

とにかくすぐに働かないとどうしようもなかったので、また、とりあえず派遣の仕事をしながら、チャンスがあれば、ちゃんと就職したいな、と。正社員なりなんなり、形はともあれ、腰を据えて仕事に取り組みたいなと、思いつつ、長期の派遣で教育イベントを中心にやっている会社に行くことになりました。本社は地方都市にあって、そこの東京支社で、事務方とイベントの運営の事務局を、任されました。仕事そのものも結構やりがいがあって面白かったんで、「こりゃ、とうとういけるかな」と思いました。結構…自分で言うのもなんですけれども…お客さんからの評判も結構よくて、もしかしたら、いよいよ私も このまま腰を落ち着けられるかなと思ったんですけれども、そうじゃなかったんですね。

そこの社長と、稼ぎ頭の営業の社員さんの私に対する評価がなぜか低かったんです。私の少し後に、若くて綺麗な女性が…確か形態は契約社員かアルバイトだったと思うのですが…入ってきました。その会社の本社の営業の社員の奥さんということで、言ってみれば縁故採用です。とはいえ、優秀な方で。当たり前っちゃ当たり前ですけれども、私の方が中心的な仕事とかから外されるようになりまして、私も「もうここにいてもしょうがないな」と思いました。

ちょうどその頃、私がアルコールデイケアに通っていた病院に相談員として入らないか、みたいな話があったので、飛びついちゃったんですよね。まあ、深く考えずにその話にのったんですけれども、結果から言うと、試用期間3か月が過ぎ、その後1か月だけ在籍して「やっぱりダメだわ」と思って、辞めました。なんで辞めたかという話は、ここでは控えます。

その後、また派遣で仕事につくことになったんですけど、そこがマニュアルを作る会社だったので、以前、飲んでた時に最後にやっていた仕事とやっと繋がった感じで、ほっとしました。最初派遣で行った後に、フリーランス契約みたいな形で、しばらく働かせてもらったんですよね。 その間は、結構、楽しく働かせてもらいました。だけど、それがしばらく続いた後に「じゃ、社員になりませんか」って、言っていただいたので、フリーランス契約のときよりも、お金はうんと安くなってはしまうのですが、せっかくそういうふうに言ってもらってうれしかったので、正社員にしていただきました。

ところがですね、なんか、社員になるやいなや、うまくいかなくなっちゃったんですよね。そこの会社の女ボスに嫌われまして。なんか私、女ボスに嫌われるなんか素質があるんでしょうかね。別に嫌われたのは私だけじゃなくって、その方のおかげでですね、その会社、実は何人も社員がメンタルやられて辞めてたんですよね。私も、多少問題がありそうだな、とは思いつつも、こういっちゃなんだったけど、「私なら大丈夫だろう」みたいな。ステップもやってるね、みたいな感じで入りましたが、やっぱり、ほんとに嫌になっちゃって…、人間関係というのが大きかったのですが、そもそもの仕事の量も減ってきていましたし、内容も面白くなくなっちゃってましたし。その頃、ソーバー(飲まないでいる期間)が7、 8年ぐらいだったかと思います。結婚話がもちあがっていたこともあって、その会社は思い切って辞めることにしました。通算3年くらいお世話になって社員でいた期間は1年くらいです。

結婚しても必ず働くことにはなりますから、生活が落ち着き次第、仕事を探そうと考えていました。そして、結婚 して東京都調布市に移り住みました。愛着のあった、東尾久の一人暮らしの部屋。4年住んだその部屋から、調布の古いマンションの方に引っ越して結婚生活がスタートしましたが、結婚するやいなや、私の方が体調を崩して働けなくなり、しばらくの間、思いがけず専業主婦として生活をすることになりました。

…と、長くなってしまいましたが、お酒がとまってから4年目から10年目くらいの間の仕事の変遷についてお話をさせてもらいました。ご覧のとおり順調とはいいがたいものでしたが、なんにせよ「飲まない生活」と「霊的成長(あるいは自分を改革する努力)」を第一にさせてもらい、また仕事を通して多くを学べたことに感謝しています。私の自覚していた願いとしては「給料は高くなくても生活できればいいから、落ち着ける職場に出会えたらいいなあ」でした。でも、振り返ってみればいつ、どの仕事をしていたときもすべてが、そのときの私に必要な経験が与えられていたのだとしみじみ思うのです。さらに後々振り返ってみると、私自身が良くなかったところに多々思い当たり「今だったら、もっと適切に振る舞えたのに」と恥ずかしくなることがあります。そしてもうひとつ、自覚していた願いは実は私が本当に望んでいたことではなかったことに、気づきました。そのお話はまた後ほどいたします。

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