まずは、最初の一杯から、(今のところの)最後の酒まで、ざっくりと(4)
アルコール中毒者のぴなこです。今回は、まず、 アルコール依存症の当事者としてアルコールを手放すようになるまでのところを、ざっとお話をしたいと思います。
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私の底つきと飲まない一歩
今度こそ、本当に生活を立て直そうと思いまして、規則正しい生活にしようと、努力しました。日中はなんとか酒を我慢して、夜になったら飲んで、なんやかんや過ごしてたんですけれども、あるとき、 親が田舎に…親の実家です…そっちに出かけるっていうことになって、出かけるやいなや、始まっちゃったんです、酒。ずっと飲みっぱなしになってしまって、その時に、サントリーオールド、「だるま」ですね、それを、1週間とか 10日ぐらいで、2ダースぐらい、いっちゃったんじゃないでしょうかね。なんで「だるま」だったかっていうと、特別好きな銘柄ではなかったんですけれども、 1番近くのスーパーで、1番買いやすい酒だったからじゃないかと思います。ずっと飲んでて、いよいよ親が帰ってきて、ばれまして。当たり前ですけど。さすがにそれじゃダメだからっていうことで、居間に軟禁されました。軟禁ったって、六畳の茶の間ですわね…そこで布団かぶって横になってました。酒が切れてくると離脱症状が、ものすごく、しんどいことに、なってたんですけど、そのときはまだ、 病院に行けば、解毒してもらえて体が楽になるっていうことは、知りませんでした。とにかく、1人で、ガタガタ震えながら我慢したんですけれども、肉体の辛さよりも、ものすごい飲酒欲求に苛まされるほうがキツかったんですよね。ウィスキーがまだ残っていたので、何時間かおきに、少―しずつ、体に入れまして…2001年9月6日ですかね、「だるま」をコップに2センチくらい注いで飲んだのを最後に、酒を抜きまして…軟禁状態って、たしか2昼夜ぐらいだったかと思います。しんどくてしかたなかったので、9月7日の朝、病院に行くことにしました。実家では、インターネットが使えなかったので、電話帳で調べまして、1番近い精神科の病院、 クリニックを探したところ、電車に乗って1駅隣の駅前にありました。もちろんその時に、「もう酒をやめよう」なんてことは、これっぱかりも思いませんでしたけれども、 そういう病院に行けば、睡眠薬とか安定剤とか、そういうものを出してもらえて、この苦しい状態は少しはマシなものになるんじゃないかというふうに思ったわけです。
それで、とにかくそこの病院に行きまして、…親もついてきまして、なんだか知らないけど、たまたま親が…両親とも家にいたからだと思うんですけど、一緒に病院へ行きました。そうしましたら、そこの病院が、たまたま、アルコール専門病棟を持っている病院 と連携しているクリニックだったんですよね。あとにして思えば運がよかったと思います。そこで、診察の前にインテークというやつがありまして。多分ケースワーカーの方だったんだと思うんですけども、若い女性の方から、ずっといろいろなことを聞かれて、答えたんですよね。どれぐらい飲んだとか、いつから飲んだとか、仕事はどうだとか、そういうことをね、全部話しました。後から思うと、やっぱりあれって…自分のことを、酒の問題を含めて、ちゃんと言う羽目になったっていうのか、あれも結構、効いたのかなって思いますが、とにかく、それが終わって、ドクターの前にですね、引き立てられていくわけですね。
ドクターは女性の、ちょっと年配の先生でした。でね、聞かれたんですよ。
「あなたね、自分がアルコール依存症だと思いますか?」
って。私は、全く、そんなことを答える気はなかったんですけど、思わず「多分そうだと思います」って、言っちゃったんですよね。全くそんなことは言おうと思ってなかったんですけども、思わず言っちゃったんです。そうしましたら、ドクターが言うには、「あなたは立派なアルコール依存症です」と。「あなたね、こんなことで、どうするんですか。仕事もこんなんではどこに行ってもクビになります」と。やっぱり、ドクターっていうのは、よく見てるものです。あたりまえなんでしょうけど。ツボを心得てるなと思うんですよね。私にとって1番嫌なのは、「お前、仕事クビになる」とか、「仕事ができない」とか。きっと「こいつはこう言うと痛いだろう」みたいなところを先生が突いてくれたと思うんです。
続きまして「あなたは今、自分がアルコール依存症だと認めたからこれから治療に入りますが、入りますけれども、あなた、多分ね、また飲むと思いますよ、 アルコールは簡単にやめられませんからね」と言われました。
その時、私は、全くその通りだと思いましたよね。「やめらんねえよな」というふうに、 そりゃそうだろうというふうに思いました。ここが何か…今から思うと…私は本当のことが分かった瞬間だったんじゃないかなと思うんですよね。「自分、酒やめらんねえんだ!」みたいな。お前、今頃それ気がついたのかってね、思うんですけれども、私にしてみると、まさに 自分は酒をやめられないんだっていうですね、そのこと。その時は全然、そういう劇的な気持ちの変化があったわけでもないんですね。雷に打たれたように気がついたわけでもありませんし、心がガーッと動いて悲しくなったわけでも嬉しかったわけでもなんでもなくって、「そうか…」みたいなことだったって思うんですけど、非常に大事な瞬間、私たちの世界でよく底つきと言いますが、私は、本当のことが、ありのままの自分の姿が分かった瞬間だったんじゃないかなと思います。
こうして、診察の最後にドクターから「あなたもこれからアルコール依存症の人たちの仲間入りですね。次、1杯飲んだら入院をさせてあげますから、あなた、自分が入院する病院の見学に行ってくるといいですよ。そこにアルコールデイケアっていうのもあるから、よかったらそういうとこ通ってみたら?」と言われました。
その後、今度はインテークをとってくれた方とは別のケースワーカーさんだと思うんですけどね…のところに連れていかれました。今度は若い女性じゃなくて、なんかちょっと渋い男性の方でした。その方が、「あなた、手を前に出してごらんなさい」って言うんですね。で、言われるままに出しましたら、手の指先がね、ぷるぷる震えてまして。
「手が震えてますでしょう? 離脱症状ですね。アルコール依存症というのは、もう治ることはありません。けれども、あなたと同じようになった人で回復している人がいます」
…と説明してくれました。その時は私もまだ、しこたま飲んで連続飲酒明けから間もない頃ですから、頭がぼんやりしてるんですけれども、そうか、私みたくなっちゃった人でも、飲まないでやっていくことができてる人がいるんだったら、その人がやった通りに、真似してやっていけば、もしかしたら、飲まないようにやるってのができるのかもしれないなっていうふうに、思いました。
後に、私は、少しかっこつけて「私の胸に小さい希望の明かりが灯った」とかいうふうに言うようになったんですけど、実際はそんなに 劇的で感動的な思いがあったわけじゃありません。けど、漠然とそんなふうに思いました。その時から、今日に至るまで、深刻な飲酒欲求…喉から手が出るほど 酒を飲みたいという脅迫観念に捕まることはありませんでした。あの時、ありのままの自分が見えた。「酒をやめることができない」という本当のことに気づいたわけです。やめることはできないんだから飲むしかないよな、という絶望的な事実が目の前にある。一方「酒を飲んではいけない。飲むのをやめるしかない」という、こちらもまた絶望的な事実でありまして。となると二律背反といいうんでしょうか、自己矛盾というんでしょうか、ここでパンクするはずなんですけど、しなかった。…ということは、そこでやっぱり何か転換というか、霊的な転換というか、運命的な転換というか、意識の転換というか表現が難しいですけれども、そういったことが起きたんだと思います。
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