体験談

私のアル中体験記 飲んでた頃と、飲まない今の長いいきさつ(3)

まずは、最初の一杯から、(今のところの)最後の酒まで、ざっくりと(3)

アルコール中毒者のぴなこです。今回は、まず、 アルコール依存症の当事者としてアルコールを手放すようになるまでのところを、ざっとお話をしたいと思います。
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アルコール依存症、坂を転がり落ち続ける

やっぱりこの最初の就職の挫折っていうのが結構大きかったです。アルコール依存症って、罹患すると死ぬまでよくなることがないんですね。悪くなる一方なんです。人によって悪くなっていくスピードに差があるんですけれども、なったが最後。絶対良くならないですね。酒止まるまで絶対良くならないんです。ちなみに、酒が止まっても病気は進む、とも言われます。これも本当で、この話も面白いんですけれども、話が長くなってしまうので、今回は詳しくお話しませんが、とにかくどんどん悪くなっていきます。とはいえ、悪くなっていくなかでも、ドカンと悪くなっていくポイントみたいのがね、ところどころにあるんですね。人によって、例えば離婚だったりとか失職だったりとか、失恋だったりとか、いろいろあるんですけれども、私の第1回目の、転げ落ちるポイントは、そこだったかなというふうに、思います。その頃から、連続飲酒というのを、頻繁に、やるようになりました。朝から飲み始めて、ずっと飲み続ける、というアルコール依存症の末期症状です。…そういうことで、1個目の就職先が、ダメで、当時は、入社のときに入れてもらった寮は出て、自分でアパートを借りて住んでいました。家賃がね、5万円、北区の志茂っていう、下町に住んでいて、会社辞めちゃったもんだから、やっぱりちょっとこのままでは不安だっていうことで、いったん頭を下げて、松戸にある親の家にですね、戻らせてもらって、資格試験を目指したいなんていうことを考えながらも、仕事を見つけまして2年半ぐらい契約社員として働きました。でも、酒は相変わらずで、どんどん悪くなっていきました。

その時の勤めてた仕事っていうのが、朝の9時から夜の9時までの、2交代制だったんですよね。コールセンターの仕事で、ずっと電話を取って、ユーザーサポートみたいな仕事 としていました。12時間働いて、3日連続で出勤して、3日休んで、4日連続して出勤して、4日休みというパターンで、ずっとやってたんですけど、今から思うと、アル中には非常にまずい勤務形態ですよね。飲み始めちゃったら止まんないですかね、3日とか4日とか。休み明けに出勤するのが無茶苦茶大変でした。なんとか続けていましたが、立場も仕事の内容も何年やっても同じままですし、その職場に続けても仕方がないので、とにかく、いったん辞めることにしました。辞めるきっかけっていうのが、ちょっとどこか旅してみたいと思いました。自分なりに人生に行き詰まり感があったんで、旅に出てみればなにか変わるかなあ、と。多分、コールセンターで一緒に仕事をしていた同僚の中で、瞑想を学びにチベットに頻繁に行っていた人がいたんですね。面白そうだったので、アジアおもしろいかも、と思って、いきなり1人でネパールへ行ってしまいました。それは私にとって、人生2回目の海外旅行で、いきなりバックパック担いでネパールへ行っちゃったんです。 ちなみに最初の海外旅行というのは28歳のときに行ったハワイで、高校時代の友達とワイキキに、ホノルルマラソンを走りにいったやつですね。

「アル中のくせにマラソン?!」と思われるかもしれませんが、マラソンやったりトライアスロンやったりというアル中は結構います。まあ、アル中進行するとできなくなりますが…。私も就職してからはスポーツジムに通いまくったり、ジョギングをはじめたり、登山したりしています。フルマラソンも2度完走しました。…というのも、自分の、アルコールの問題、「どう考えても飲みすぎるよな」ってのは、さすがに分かっていました。なので、どうすれば「普通の酒飲み」になれるかっていうことを、一生懸命考えまして、いろんなことをやりました。そのなかの一つがスポーツだったんです。一時期は真剣にエアロビクスのインストラクターになろうかな思ったり、仕事前に朝5キロぐらい走ったり。酒の方は大量に飲んでいましたけれども、若いっていうことはすごいことで、そういうことができたんですね。

そういうこともあって、自分が意思が弱い人だというふうには、どうしても思えなかったです。だから私は酒が止まるまで、一度も自分は「酒をやめよう」と思ったことはありませんでした。そもそも無理だと思いましたし、考えるのも嫌でしたし。やめようと思ってトライしたことは、私は1度もありませんでした。 その代わりと言ってはなんですが、「普通の酒飲み」になればいいわけじゃないですか。だから、朝から飲んだりしないで、飲みすぎて、仕事に穴を開けたりしなさしなければいいんだと思ってまして。世の中に大酒飲みっていうのはいっぱいいるので、ちゃんと仕事をして、夜、誰にも文句言われないように 適量を飲んで、休んで、次の日また元気に仕事ができるようになればいいんだと。

問題は、もうその時点で10何年かそういうことをやっていて、全然それができていないっていうことなんですけれども、その辺りは、見えないわけね、病人ですから、本人 完全に捕まっちゃってますから。酒をやめること考えなかったけれども、なんとか普通に飲めるようになろうという努力は、手を変え品を変えて、ずっとやっていたということです。

そういうことでインド、ネパールに旅に出るわけですけれども、だからと言って別に酒止まったわけじゃないんですよね。いろんなことを学んで面白かったですけれども、それで自分の酒がなんとかなったかとえいば、もちろんなりませんでした。当たり前でしたけれども。向こうは、インドとかネパールは基本、ドライカントリーとまで言われないようですけれども、大っぴらに酒を飲む土地柄ではないものですから、酒を入手するのは大変でしたが、それでも、飲んでばっかりいました。その話は今回端折りまして…、とにかく3か月ちょっとで日本に帰ってきました。

…当時私は29歳だったかと思います。仕事を探すときに「これが、何かの仕事で一人前になれる最後のチャンスだと思って、なんとか千葉県内にある小さい マニュアル制作会社みたいなところに入りました。結果的に、そこが飲んでいる間に勤めた最後の会社になりました…というか、なっています、今のところ。そこの会社は…今はそういう会社って全然珍しくないんでしょうけど、Tシャツ、ジーンズとかで通えて、フレックス制で、かなり個人の裁量で仕事してもいいところで、先輩、同僚も皆、優秀でした。私としても、本当に仕事やりたいと思って必死だったんですね。自分なりに懸命に仕事を覚えようと努力をしました。その職場のおかげで、とりあえず、パソコンも使えるようになって、その後、酒を手放してから社会復帰する時に 随分、役立たせてもらいました…自分なりに必死になったにも関わらず、やはり、アル中のほうは進行してきて、転げ落ちるように悪くなっていくんですね。頻繁に連続飲酒をするようになっちゃったんで、やっぱり1週間も仕事に行かなかったりとか、最長で2週間以上っていうのがありました のね。その辺の、1番悪くなっていく時の、自分の様子というところも、後でまとめて話をこうしようと思うんですけれども…結局そこも通算4年ぐらいで辞めることになりました。 それが2000 年末のことでした。で、またしても親に頭下げて、アパートを引き払って実家に荷物まとめて帰ることになりました。

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