体験談

私のアル中体験記 こんなふうに飲んできた(5)

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青春を飲み潰す 第1章(続き)

そうやって急性アルコール中毒ということで病院にかつぎこまれたので、親のところに連絡がいきまして、母親が来てくれました。家に帰るように言われたのですが、「お金は自分で払うし大丈夫だ」と言って、私は言うことを聞きませんでした。母とはその場で大喧嘩したわけじゃないんですけれども、母親も言っても無駄と思ったのか、結構あっさり帰りました。さすがに私もかなり落ち込みましたよね。クラスメイトの前で大醜態をさらしたわけで、非常に不面目だったし、めちゃくちゃ迷惑をかけてしまいました。後で連絡がつく限り、電話をかけて謝りましたが、なにせ「卒コン」だったわけで、もうクラスメイトとも会わないわけです。非常に残念に思いました。アルコール依存症を発症していて、非常に一気に悪くなってしまい、酒で大学生活を台無しにした集大成ともいえるような結果になってしまいました。

お酒の失敗というのは、もちろん他にも数多くあるんですけれども、結局、私の学生時代というのは酒でぼこぼこになってしまい、学生時代の友人というのは1人も手元に残りませんでした。自分が悪いんですけれども、良い思い出があまりなかったので、せっかくあんなに勉強して入った学校だったのに、いきなり夢破れた感じで終わってしまいました。

実は、その卒業コンパ事件の半年くらい前には、父親と大喧嘩しまして、家出をしていました。家で散々お酒も飲んでいましたから、あたりまえですが、親からも注意されて反抗し…というか、もともと家が嫌だったものですから、私も態度が悪かったに決まっています。家出して、サークルで借りてた部室に転がり込みました。当時、大学の近くで風呂なし、トイレ共同の6畳間のアパートをサークルで借りていたんですね。そこで寝泊まりしたり、親戚所有の空き家や、友だちの実家にやっかいになったり、そういうことをしていました。とくに、サークルの女ともだちの実家には大変お世話になりました。家に滞在させていただき、そのおかげで卒論を書き上げて提出することができました。一度、お礼の品を送っただけで、連絡もせず、本当に不義理なことをしました。そんな形でなんとか大学を卒業しました。1991年、平成3年のことです。

青春を飲み潰す 第2章

こうしてやっとのことで学校を卒業し、就職しました。いわゆるバブル入社の最後の年です。

バブル崩壊が1992年、その前年だったので、就職先は割とあっさり決まりました。自分が何に向いてるかとか、どういう仕事でどういうキャリアをスタートしたらいいのかという大事なことをまともに考えないまま「ここなら、なんか良さそうな会社だし、入れてもらえそうだし」ということで、独立系のソフトウェアの開発会社に入社しました。

当時は、文系学部の学生でも、ソフトウェアの開発会社に入ることができたんです。今はその会社も一部上場し、大会社になりましたが、そのころはまだ社員数も700人前後だったと記憶しています。規模感は中堅ながら福利厚生の良い会社で、ワンルームマンションを借り上げた寮に入らせてもらい、職業人としての生活が滑り出しました。

ところで、小見出しを「青春を飲み潰す」としましたが、ふと、青春って一般的には何歳ごろのことを言うのだろう?…と思い、ChatGPTに聞いてみたところ「狭い意味 … 15~22歳くらい。広い意味 … 15から30歳くらい」とのことでした。

私の場合、振り返ってみると、この会社を26歳で退職するまでが青春だったな、と思います。大学時代よりもこの会社でお世話になっていた時期のほうがずっと楽しい記憶が多く、今でも、ふと「あの会社を辞めなければよかったなあ」と思ったりすることがあります。しかし、当然のことながら仕事に就いても私の酒は留まるところを知りません。遠い昔のことにはなりましたが、思い出していきたいと思います。

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