
ブログで体験談をしようと思ったきっかけは…
アルコール中毒者のぴなこです。
このサイトは2014年に開設しました。以来、11年、なかなか更新できない時期も多くありました。そんな中で、私としては「意外! 読まれているんだな」と感じている記事が「2001年9月 断酒日記~死闘編~ 最初の10日間」。私のお酒が止まった直後の記録です。その記録を始めた当時は、パソコンは持っておらず、古いワープロを使って、保存はフロッピーディスクでした。若い方は使ったことがないのでは、と思いますが(笑)…。ところがあるとき間違えて捨ててしまったらしく、少ししか残っていないのが悔やまれます。こんなに読んでいただけるのでしたら、もっと大切に保管しておけばよかったです。
…このようなこともあり、案外、体験談的な部分が1番読んでいただけるところなのかと、今年に入ってから「よし、体験談を投稿しよう」と決め「私のアル中体験記 飲んでた頃と、飲まない今の長いいきさつ」をアップしました。
書き始める前に
「この体験記を読んでくださる方っていうのは、どういう方なんだろう」
ということに思いを巡らせました。まず、自助グループにすでにつながっている方、関係者の方が読んでくださるのかなあ、と。あと、もしかしたら「自分のお酒に問題があるんじゃないか、自分はアルコール依存症かも?」と思っている方、あるいは「夫、妻、娘、息子、父親、母親、友人…がアルコール依存症なのでは?」と思っている方なのかもしれません。コメントをいただくことはほとんどないので、想像するしかありませんけれども…であれば、読んでくださる方が、何を求めているのか、どういうことを知りたいのかなというようなことも、思ったりしました。けれども、結局、私ができることは自分の体験をできるかぎり正直に書くことしかないということに思い至りました。
そして、私の場合15年飲んでいて、飲まなくなってからも20数年経っているので、体験談といってもいろいろあり、何をどう話すか…などと考えていると記事を投稿するまでに時間がかかってしまうので、思いついた順に、お話することにしました。
遺伝? ちょっと余談で失礼…
今回はお酒と出会った頃、飲み始めの頃から始まって、酒がひどくなって、さらにひどくなって最悪…というところまで、話してみようかなと思います。
私はアルコールの自助グループに通うようになってから、同じ病気の仲間の話を無数に聞いてきたんですけれども、最初の頃、随分驚いたのが「親も、アル中だった」という人が多いこと。3代続いたアル中だという人もめずらしくありません。アル中2世、3世が、こんなに多いのかと、びっくり。
知識として、アルコール依存症というのは、体質的、遺伝的な病気という一面があるということは聞いていましたけれども、なるほど、その通りなんだ、と。
私の原家族にはアル中はいませんでした。親類縁者、父方、母方の両方を見ても、あまり酒の問題というのは起きていませんでした。
…が、よくよく思い巡らせればやはり、いるものです。私の母方の祖父の父、つまり曽祖父について、断片的に、ぽつんぽつんと残っているエピソードから察すると、どうもアルコール依存症だったんじゃないかなというふうに思います。
母の父方の実家は、曽祖父の代までは、土地を結構たくさん持っていて、要するに地主で裕福だったらしいんですね。そういう後ろ盾があって曾祖父は、アメリカに留学して「ユリの根の研究」をした、と聞いています。一方で、一発当てに「金を掘りに行った」みたいな話もあり、定かではありません。渡米したことは確からしいですが、結果的には実家の身代を潰すことになりました。当時は渡米し、滞在する費用といったら大変なものだったでしょうからね! 帰国後、今なお中高一貫教育の名門として残る、某学校の創立メンバーとして名を連ねたものの、すぐに喧嘩別れして辞めてしまった…ということになっています。
ここまでの話ではちょっと優秀な放蕩者、とでもいった印象がありますが、同時に「大酒飲みだった」という話も残っています。酒を飲んでは大きい話ばかりして全然生活力がなかった、とも。この辺の話を総合すると、コツコツやらないで急に大きいことをやろうとするとか、喧嘩っ早いとか、仕事が続かないとか、衝動的になにかやってしまう、とか、非常に、アル中っぽい人物像が浮き彫りになります(笑)。ああ、ひいおじいちゃん、アル中だったんだね、と。私は、その曽祖父とは会えませんでしたが、確実に血を引いたのだろうと思うと、親近感が湧きます。
あともう一人。私の父親は、昭和22年生まれで、まさに団塊の世代。戦後生まれで家は農家だったのに、子どもの頃は米が食べられなかったほど貧しかったそうです。しかも母親を早くに亡くし、親兄弟、親族の庇護を受けられなかったために高校に進学ができず、中学を卒業してから、靴の職人になるということで上京しました。父は男5人女2人の7人兄弟の下から2番めです。すぐ上の、ケンジさんという方が兄弟の中で1番優秀で、勉強もスポーツもよくできて、独学でギターも弾けたほど、割となんでもできた人だったそうです。けれどもこのケンジ叔父さん、長じてからの人生が結構不遇で、家庭をもって一生懸命働きはしたものの、本来持っている高い能力をまったく活かさないまま、30代で亡くなりました。原因は過度の飲酒を主とする不摂生。父曰く「酒をあおるように飲んだ」とのこと。他に伝わっているエピソードからも破滅的な生き方が伝わってきて、アル中っぽいです。
…とまあ、自分以外の人の話をしてしまいましたが、「アルコール依存症は病気であり、回復可能である」ということが知られていない時代を生きた、多分アルコール依存症だった親類のことを悼みたい気持ちもあり、書かせてもらいました。考えてみれば、アルコール依存症というのは、ありふれた病気だとも言えて、どなたでも父方、母方双方の親類縁者に思いを巡らすと、必ず1人や2人は「あの人は酒さえ飲まなきゃいい人なんだけど」とか「せっかく優秀だったのに酒で命を縮めたよね」みたいな人っていうのはいるんじゃないかと思います。
次回から私自身の飲酒歴に入ります。