「房総」に連載中の「酔いざめ川柳」が、おかげさまで二十周年を迎えました。
一日断酒の生活が始まって四か月経った二〇〇二年二月号に初めて掲載していただいてから、二十年。まさかこれだけ続くとは思いもしませんでした。これもひとえに読んでくださる方々がいたこと、そして「房総」という発表の場をいただいたからできたことです。この機会にお礼の意を伝えたく投稿いたしました。
【それはこうしてはじまった!】
「酔いざめ川柳」掲載のきっかけは一通の年賀状でした。断酒会員になって初めての正月のこと。当時の松戸断酒新生会の会長にお送りした年賀状に、思いつきで川柳を数句書いたところ「君は川柳の心得があるのかね?」と聞かれたのです。ちょうど、その松戸の会長さんが「房総」の編集長を務めていらっしゃったのでした。もちろん心得などはありませんでしたが、なぜか断るという選択肢は思い浮かばず連載が始まったのです。
それから二十年。あるときはニューヨークの安宿で、あるときは虫垂炎で入院した病院で、あるときは出張先の福岡市内の宿で書いた「酔いざめ川柳」。失業により懐具合が大ピンチの最中に書いたこともあれば、仕事に恵まれて楽しく過ごした慌ただしい日々の中、時間を捻出して書いたこともありました。どんなときも私の一日断酒と「酔いざめ川柳」は続いたのです。
【あれもこれも「酔いざめ川柳」から教わった!】
川柳を作り続けてよかったと思うのは、自分を突き放した目で見る視点がもらえたことと、自分を茶化すと気が楽になると学べたことです。
書き始めのころは少しでもよい作品にしようと頑張り、提出後に差し替えを依頼したり、締め切りを延ばしてもらったりしたのですが、ある時「原稿の出来不出来なんかよりも、編集担当の会員さんの手を煩わせないことが一番大切だ」と気づきました。私の川柳がつまらなくても誰も困らないわけです。以来、明らかな間違いに気づいた、ということでもないかぎりは修正の依頼はせず、締め切りは必ず守ることにしました。自分を中心に考えないほうが上手くいくし、無駄に頑張っても良い結果にならない・・・大きな気づきでした。それ以降、生きることそのものもずいぶんと楽になったような気がします。他にも多くのことを学ばせてもらいました。
【こんな風に書いてきた!】
いつも頭の隅っこに「酔いざめ川柳」を置いておき、ネタを思いつき次第ところ構わずメモしています。「あとでメモしよう」と思うと必ず忘れてがっかりするハメに。原稿は、すんなりと書けるときもあれば、なかなか書けずにウンウンうなって、日をあらためてトライすることもあります。
短気でせっかちな私も、書くときには「言葉を変えたほうがいいかな?」「ここの読点はやはり外そうかな?」などと、このときばかりは結構最後まで粘ります。
【感謝、あるのみ!】
いろいろな仕事をしている中で、いつも一番気にしているのは「酔いざめ川柳」の締め切り。プレッシャーがないわけではありませんが、終わりは私が決めるものではなく、状況や読んでくださる方々が決めるものだと思います。
私には自分の子どももおらず、仕事も成功できませんでした。けれども今、寿命が尽きたとしても「酔いざめ川柳」を二十年書き続けたこと、それをもってして良い一生であったと思うことができます。なんとありがたいことでしょう。
今日まで「もしかして喜んでもらえているかも?」という思いが私に書かせてくれ、一日断酒を確かなものにしてくれました。
「酔いざめ川柳」を読んでくださった方、「房総」で活字にするまでの活動に関わってくださった方、この世にいる方もいない方も含め、本当にありがとうございました。
(記:二〇二二年一月)