記:2017年3月8日
「あまりにもきれいなカードを見つけたので」という、この上ない理由で、AAの仲間からカードが届いた。
桜のカードで、開くと桜の木の下に三毛猫が1匹。表紙にも同じ三毛猫。
「あまりにもきれいなので」一昨年に亡くなった母の遺影の前に供えて分かち合うことにした。
隣はずいぶん昔に夫からもらった腕時計、その隣は別の友人にいただいたシャレドワのネイルオイル。
そういえば遺影の写真立てもAAの仲間からのプレゼントだった。
「分かち合う」というのはAAで教わったことだが、意味はごく最近まで表面的にしか受け取れていなかった。
どんなにいいものを持っていても分かち合わなければ意味がない。
私は誰かに何かを差し出したりプレゼントしたりすることが、長い間、苦手だった。
「受け取ってもらえないかもしれない」「受け取ってくれても、実は迷惑だと思うんじゃないか」などと恐れおののくのである。
AA的言えば、典型的な「恐れの感情」の暴走だ。
そういえば私の母も分かち合うのが下手な人だった。でも今思うに、実は母も分かち合いたいと思っていたのではないか。
そう思うとまことに親不孝をした気がする。母がどんな態度をとろうが、もっと私から分かち合えばよかったのだ。
分かち合う生き方に変える。こうしてブログで書かせてもらったり、一番簡単なことではミーティングで話してみたり。
受け取った人がそれをどうするかは、その人の問題だ。
毎日の生活のなかで「分かち合うこと」に努める。
私は自分の人生をそのように変えていく。
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