酔いざめ川柳 2015年

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時給には なぜ 足されない 消費税

その晩の 記憶だけ亡(な)くした 忘年会

(新年のごあいさつ)

キャベツとレタスの畑で働き始めて一か月ほどたった。壊れかけた軽トラで畑の間をかけまわり、体はきついが気分は爽快。田畑で働くことはアルコール依存症からの回復と相性が良いような気がする。土や植物に触れたり虫と出会ったりすることで精神に良い影響があるのか。いや、作業するとき頭を下げる姿勢が多く「頭が低くなる」ためか。そういえば苗を植えたり草を取ったりする時の姿勢は、祈るときの姿勢に似ている。

(二〇一四年十二月某日 頭は天に、地は足に)

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すずなりの レタスのおしゃべり 日の光

この会が なければ 何枚 年賀状

(如月のごあいさつ)

レタスとキャベツの畑の仕事も早や二か月。屋外の仕事は天候に左右される。風のない暖かい日中は楽しいけれども雨、風、寒さの中では、ちと大変だ。仕事を楽しむには、その時の状況をさっと受け入れるのが得策。なにしろ相手は大自然。この機会を通して、自分の力でどうにもならないものを受け入れることが上手になっていけるとよいと思う。

(二〇一五年一月某日 祝! 酔いざめ川柳十三周年)

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飽きるほど やっても 不思議と 下手なまま

あの世でも 飲む気が失(う)せて 酒 止まり

(弥生のごあいさつ)

田舎暮らしでは「いただき物」が多い。今は畑で働いているため、売り物にできなかったレタス、大根、さといもなどがいただける。親せきからも魚、果物などが貰える。さらに春や夏になるとご近所から「庭で採れ過ぎた」と菜花、なす、きゅうりなどが貰える。これらは大喜びで、ありがたくいただくことが、その返礼になる。アルコール依存症からの回復の道も「何かを受け取ること」からその一歩が踏み出せるような気がする。

(二〇一五年二月某日 菜の花畠に入日薄れ)

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どう言って 断ろうかと ノンアルビール

「捨てるため」洗ったせいで 捨てられず

(卯月のごあいさつ)

田舎に引っ越してから一年経った。準備万端整ってから実行に移したわけではなく、現金収入源が乏しかったり、不便だったり、いろいろと工夫が必要なことも多い。けれども、それを軽々と上回る充足感がある。「これは正解」と細胞レベルで感じ取っている。酒を飲まなくなってからの直感は信用できるのではないか。飲んでいた頃の直感は外れてばかりだったが。

(二〇一五年三月某日 菜の花、ポピーにキンセンカ)

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またしても 「節税」 縁なく 確定申告

総量で 麦茶 麦酒(ビール)を まだ超えず

(皐月のごあいさつ)

猫を飼い始めた。庭に遊びに来ていた顔見知りの野良。ある日ケガをしてやってきたので保護した。病院で必要な手当をし、首輪をつけて完全室内飼いにした。世話をする手間が増え、フトコロにもひびいたけれども癒し効果に驚く。気持ちがまろやかになり、ストレスを感じにくくなり、日常の雑事に取り組む力が増した。また、どんなに自慢しても惚気(のろけ)てもそれが猫の話なら許されることが分かって、それもサイコー。

(二〇一五年四月某日 安房の猫につき、名前は「里見(さとみ)」)

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撫で続け 猫 形よく なりにけり

体験談 語る以外は 役立たず

(水無月のごあいさつ)

複数の仕事と家事で日々段取りがややこしくなり、やることの順番を書いて整理してから動いている。酒を飲まない生活をはじめたころ「気持ちが揺れたときは、殴り書きでいいから書いてみるといいよ」というアドバイスを受けたことを思い出す。なるほど書いてみると、あれほど頭の中に詰まっていた「何か」は実はささいなことであり、「何か」を生み出したのは「自分を変えるのは嫌だ」という単純にして強固な自我だったことが分かる。今は頭の中が日常のことで占められつつあり本当によかった。

(二〇一五年五月某日 「休息」も段取りにいれましょう!)

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扇風機 しまいそびれて もう出番

いつの間に 例会場が なかば 家

(文月のごあいさつ)

田舎に越して一年が過ぎた。国家認定の過疎地にいるが、町にいたころより人と関わることが増えた。町ではあれだけの人波にもまれながら、ごく限られた人としか関わっていなかった。これからも、できるだけ多くの人と関わりたい。その中から実りある関係を築ける人が出てくるはずだ。そういうことも自助グループで教わった。まず多く出会う。そして分かち合って生き延びていく。

(二〇一五年六月某日 天の川 冷酒と ビールも 流れるか)

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薫風や「飲めればなあ」と 梅を もぎ

書きかけの ノートばかりの 生きて来し方

(葉月のごあいさつ)

なぜか「自分はなぜ何をやっても中途半端な人間なのだろう」という疑問にとりつかれ、少々悩んでいた。このままではお先真っ暗なのではないかと。とにかく日常生活をこなしているうちに誕生日が過ぎ、満年齢があがった。無駄にトシばかりくってと落ち込むかと思ったが、悩みはすっかり消えていた。いったい「中途半端ではない何」でありたかったのか。飲まない今日一日が過ぎればいいじゃないか。

(二〇一五年七月某日 まだまだまだまだ生きてこそ)

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どうせなら 贅肉 溶(と)かせ この暑さ

甲斐あって 冷やし麦茶の 美味さかな

(長月のごあいさつ)

町内でお盆の準備がはじまった。とくに新盆の家の庭や玄関には杉や竹を組んだ高灯篭が立てられているため、すぐに分かる。情緒があって素敵だ。私も、酒を飲まなくなってから何人か大切な人を亡くした。自助グループでお世話になった先輩たち、昨年は祖母。けれどもどの時もあまり悲しくなかった。なぜか。「その方からはもう十分いただいた」と思えたからだ。

「ご恩送り」がちっとも進んでいないと顧みる私の夏だ。

(二〇一五年八月某日 一日断酒で ”to be continued”)

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蝉(せみ) 窓に ぶつかって落ち 夏 行くか

十四年 経って ビールの値を 知らず

(神無月のごあいさつ)

七月に私の母が亡くなった。四月に末期がんにかかっていることが分かり、私も介護のため松戸と南房総の間を行ったり来たりすることになった。その日、私が見舞いに出向いて数分後、容体が急変してあっけなく逝ってしまった。その前日に例会の司会、翌日にも自助グループの役割があったおかげで、親の死に目にあうことができた。断酒の神様の計(はか)らいに違いない。

(二〇一五年九月某日 「断酒道十四段」表彰状を遺影の前に)

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初恋が 実らなくてよかった と 同窓会

こんにゃくの ようには抜けず 酒のアク

(霜月のごあいさつ)

毎月この原稿を書いているが、短時間で書けることもあればなかなか進まないこともある。けれどもいつも書き終わると独特の爽快感がある。役割をもらってそれをやりとげるというのは人間にとって本質的な喜びなのではないか。それにしても四十七年の人生で、与えられた役割と自分の興味・好みが一致したことなんてそうそうない。ありがたいことだ

(二〇一五年十月某日 近所でイノシシの親子と遭遇!))

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天高く 主婦 残り物で肥える 秋

かっこわるい 自分より他なくて しらふ 生き

(師走のごあいさつ)

田舎でのんびり暮らすはずが、日々走り回っている感がある。特に今は「師も走る」くらいだから私が走るのも無理はない。一日断酒継続中のアル中として、世の中にアル中のなんたるか、どう回復するのかについて、ペンの力で訴える試みは今年も果たせなかった。あたりまえだ。修行が足りないのだ。「日常」を生きる修行が。

(二〇一五年十一月某日 くじら山に夕日の沈む)

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