お酒を飲まずに生きるには

最初の一杯、最後の一杯 ―― 2003年10月 ――

十七歳だった。赤ワインが最初の一杯。

ああ気持ちいい。こんなにいいものがこの世にあるなんて。

人生最初の快楽が脳細胞を直撃し、私は、続く十六年の人生をフイにした。

思えば、子どものころから生きていることが楽しくなかった。学校も家も好きではなかった。ピアノや水泳の習い事も大嫌いだった。私はひどく不器用な性質なのだ。だからがんばった。デキの良い子にはなったけれど、生きた心地はしなかった。窮屈だった。本当に好きなことにもめぐりあえなかった。友達はいたけれど、お腹の底からうちとけることもなかった。ちゃんと恋もできなかった。人との関係なんてわずらわしいだけ。くだんの十七歳のころは、大学受験に向けて猛勉強が始まったところだった。

アルコール中毒には、なるべくしてなったように思う。非行に走ることもできなかった私は、生きる苦痛を酒で紛らわす道を選んだ。

首尾よく大学入学を果たした。夢と希望にあふれるはずの学生生活は、なぜだかちっとも面白くない。当然だ。厳しい校則や受験勉強から逃れ、自由にやっていいといわれたって、何をやりたいか分からないのだから混乱するだけだ。経済的な無理をおして進学したため、金銭的なやりくりも楽ではなかった。例によってがんばって卒業した。もう、この頃には「酒の問題」は、かなり明らかになっていたが、自分の飲酒が病的であるなどとは考えてもみなかった。

つまらない学生生活が終わり、張り切って就職した。これでやっと打ち込むべきものが見つかったと思った。でもだめだった。根本的な問題をかかえたまま何をやっても楽にはならない。ましてアルコール中毒の症状は進む一方。それでも何とか自分を立て直そうとがんばった。転職をしてみたり、引越しをしてみたり、マラソンに挑戦してみたり、旅行にいってみたり。何をやっても効果なし。こうして十年以上、連続飲酒をくり返しながら、だましだまし生き続けた。

とうとう最後の一杯を飲む日がやってきた。約十日間、嵐のように飲んだあと「酒はやめないとだめなんじゃないか、でもそんなことができるだろうか」二日間、離脱症状と格闘しながら、迷いに迷った。今でも、あの二日間のことは、昨日のことのように思い出すことができる。迷い、疑問、不安、恐れ、憎しみ、恐怖、アルコールへの渇望。魂が軋むような、あの感じ。
やっと酒が切れた。生のまま飲んだウィスキーが最後の一杯になった。
最後の一杯から、二年が経った。
飲まなくなったが、相変わらずである。生きていくのは、しんどいことばかりのように思える。けれども、私は自分自身の中に、生きることへの強い欲望があることを知った。なんといっても、やはり生きたいのだ。自分の「命」に対する愛情なのだろうか。それが私に酒を飲ませ、また止めさせ、ゆがんだ自分を壊し、魂の成長をうながしたのだと信じる。アルコール中毒という病気は、私にとって必要なものだったのだ。
自分の生命を愛そう。つまらないプライドや感情のしこり。要らないものを手放せば、生きるのはもっと楽になる。この瞬間、瞬間は誰にもとってかわることのできない自分自身の「生」なのだ。

恐れずに生きていこう。なにも恐れることはない。一杯の酒以外は。

駄文ひとすじ ~載りも載ったり十七年 ~

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