お酒を飲まずに生きるには

生きる歓び ―― 2005年5月 ――

私は仮死状態で生まれた。母の体から出てきたとき、私の首には、へその緒が二重に巻きついていた。もう一重巻いていたら助からなかったそうだ。看護婦さんが、「こりゃ大変」と、やおら私の足首をつかんで逆さに吊るし、往復ビンタをくれると、ようやく甲高い産声をあげたそうである。

ああ、難儀なことだった。生まれ落ちていきなり、つるされてビンタとは。  しかし、その三十三年後、私はもういちど生まれ変わることになった。実に十五年間、浴びるように飲んだアルコールが、ボディブローのごとく、じわじわと私を傷めつけ、精神的に死にかけていた二度目の仮死状態である。

アル中が本気で酒を手放す。それは、赤ん坊が母親の産道を必死にくぐり抜けるのに似ている。しかしながら、最初の誕生のときと違って「んまー、かわいい、アバアバ」などとは誰も言ってくれない。飲んでいた、いや、飲みはじめる前からの自分の人生の過ち、恥、酒で失ったのもの、得られなかったもの、周りからの怒りと不信のうずまく中、ボー然と立ち尽くす。さて、どうしたらいいんだ?
さすがに生きるか死ぬかの分かれ道、虐げられていた本能が動き出した。 「もう、お前ひとりの手には負えない! 助けを求めろ! 仲間の話を聞け! 自分も正直に話せ! 飲むな!」

そして三年。いろいろあったが、なんと濃い日々だったろう。
飲まなくなってしばらくの間、私にとって生きることは依然として苦行だった。「生きるのは嫌なことだ。でも飲めばもっと苦しいから、飲まないことだけ考えよう。」
飲んでいた最後の頃、なんとか飲んで意識がなくなったまま、死ねないものかといつも思っていた。自分で死ぬ度胸がなかったため、そんなところまで酒に頼ろうとしていたのだ。依存症とはよく言ったものだ。「結局、死ねなかったではないか」
これが、当時の私を支えた、本能のつぶやきである。なんだか辛気くさいが仕方がない。私なりにせいいっぱい「生」を肯定しようとしていたのだ。それが限界だった。
ところが、念仏のごとく、死ねないんだから生きよう、生きようとぼやいているうち、すこしずつ生きるのがラクになってきた。本能のつぶやきがこう、変化した

「ラクに生きなきゃ、死んじゃうぜ!」

驚いたことに死ぬのは嫌になっていた。ラクに生きよう。嫌なことはしない。少しでもやりたいことはやってみる。仲間と一緒にすごす。失敗をこわがらない。私は私。誰のことも気にするな。誰も私に代わって酒をやめてくれるわけでなし、失敗や苦しみも変わってくれるわけでなし。でも、苦しみではなくて喜びだって自分自身で感じるもの、手にするもの。「生きる歓び」は人からもらえるものではない。自分でつかむもの、人と分かちあうもの。

なにがうれしいかね。やっともてた自分の六畳間。通勤のために履く新しいストッキング。空が青いこと。木の匂いのする風。路地の猫。図書館の本が詰まって重たいバック。遠いところへ旅する夢。自分でブレンドしたハーブティー。アロマポットからたちのぼるフランキンセンスやイランイランの香り。・・・きりがない。最近のマイ本能は、こう叫ぶ。

「生きる歓びを増やせ! 一日一日、大切に生きないと増えないよ!」

そうだねぇ。それが命に報いることなんだと、今は思っている。  恐れずに生きていこう。なにも恐れることはない。一杯の酒以外は。

駄文ひとすじ ~載りも載ったり十七年 ~

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