お酒を飲まずに生きるには

断酒日記 ~死闘編~ ―― 最初の10日間 ――

2001年9月7日 金曜日(わたしがアルコール依存症患者となった日)

 

精神科の狭い面談室で10分ほど話したのち、医者はわたしに、聞いた。
「で、あなたは自分がアルコール依存症であると思いますか」
わたしは、一瞬、歯を食いしばってから答えた。
「はい、そうでしょう」
先生は、カルテをめくりながらほほえんだ。
「立派なアルコール依存症です。ここで飲酒をやめなければ、転落していくだけです」

こうしてわたしは、ようやくアルコール依存症患者となった。実際の依存がはじまって7年、いや10年たっていた。
実に10年間、わたしは自分を欺いていたのだ。愕然とする。
自分を欺いていたという事実は、恥と悔恨の思いをかきたてられた。が、同時に、もう、自分を欺くことをやめられる、という安どの思いをもつことができた。

(今日のできごと)

・病院に行った(神経科の病院にかかったのは初めてではない)

・安定剤と誘眠剤を調合してもらった

・アルコール依存症患者としての治療がはじまった

・住民票を移動し、国民健康保険の未納分を分割払いにしてもらうように頼んだ。月額5000円ずつ支払うようにした。その足で市役所に出向き、保険証を受け取った

・家にあるウィスキーを台所に流した

禁酒1日目、成功

(覚書)

・わたしが自分でアルコール依存症であることを初めて認めたので、その時点から治療がはじまった。本人がそれを認めていない場合、それを治療することはできない。

・治療に必要なのは本人の意思であり、治療を開始してからは酒を意と口でも口にしたら即、入院しなくてはならない。

【約11年後のコメント】

・酒への依存が始まって10年、とありますが、実際には15年です。当時は連続飲酒発作が始まった10年前から依存症が発症したという認識でした。後々振り返ってみると、私の場合、初めて酒を口にしたときから普通に飲めていなかったことに気づきました。

・この前日の朝5時ころ生のまま飲んだウィスキーが今のところ最後のお酒になっています。

・台所に流したウィスキーはサントリーオールド(だるま)です。タンスの下着を入れる引出しに隠していました(笑)

・11年前の話なので、今より体力があったなあと思います。離脱症状も切れていないのに電車に乗り継いで役所を2件回ったりしています(笑)。翌日からアルコールデイケアに通いたかったのであわてて保険証を手に入れるために走り回ったのです。

**********************************************************************

2001年9月8日 土曜日(仲間に会った日)

 

B病院の「アルコールデイケア プログラム」に参加。
ソーシャルワーカーのHさんからプログラムの説明を受ける。
午前中は、調理実習。私の分も含めて19名分。
鶏肉のトマトソース煮込み、ホウレンソウのごまあえ、きんぴらごぼう、大根の味噌汁にごはん。
おいしかった。配膳と皿洗いを手伝った。

午後、ミーティング。Hさんが司会。某福祉大学の実習生が、「仲間」について話し合ってほしいという。
私も、発言を求められたので手短に話した。
昨日から「アルコール依存症患者」になったこと、10年もの間、自分を欺いていたこと、でも自分が依存症であることを初めて認めたとき、「ああ、仲間ができるなあ」と、思ったこと。友人と仲間というのは違うのではないかということ。

他のメンバーさんからでた、話。(印象に残ったところ)
・この病気になる前の友人を始めとする人間関係がとぎれてしまった。今はこの、同病を抱える仲間が仲間といえる。(ソフトボールチームに入っていたが退団。ゲーム後の宴会にでることができない。妻とも別れて。子供たちとも離れ離れになっている)

・10年も20年も、ずっと孤独だった。それがこの病気になってからというもの、同病の仲間ができてよかった。月曜からこの施設のスタッフをすることになった。

・飲み仲間からの誘いは断っている仲間を選ぶべきだ。

・仲間とのとる距離が難しい。仲間が飲んでしまい、誘われても断ると「仲間じゃないか」といわれる。ある程度、つきはなすことが必要。

・・・その他印象に残ったこと。

・メンバーの一人が詩と随想を記した3枚つづりの紙をくれた。他のメンバーにも配っていた。いい趣味だ。

この間のムチャによる禁断症状はなくなったから、飲酒欲求は強くない。先のことを考えると、不安。

禁酒成功、2日目。

(今日のできごと)

・アルコールデイケアプログラムに初参加。

・図書館に行った。

・夜、スポーツジムへ。小一時間ほどプールで泳いだだけ。

 

【約11年後のコメント】

やはり多動しています(笑)。自宅からこのB病院まではJRと私鉄を乗り継いで40分ほど。最寄駅からは送迎バスで10分ほどかかりました。プログラムは10時に始まって15時に終わりました。その後、図書館に回って、その後1時間近く泳いだわけですね。

**********************************************************************

 

2001年9月9日 日曜日(晴れたりくもったり雨が降ったりした日)

 

断酒会の例会へ

於、N市の福祉会館。13:00から15:30まで。

参加者20人弱。依存症のメンバー15人ぐらいと、その奥さんたち6名ほど。

ノートに住所氏名を書き、参加費100円を小さなかごに入れる。この、ささやかな積立は、各席に配られたお茶と菓子のために使われているのだろう。ロールケーキがひときれ、クッキーが一枚、グミゼリーが1個、バナナが一本。なかなか経済的だし、いいセンいっている。それらが、角をずらして半分に折った半紙の上にのっている。

会はまず

禁酒成功、3日目。(3日ぼうずにならないように!)

【約11年後のコメント】

「会はまず」でとぎれています(笑)。例会の様子、印象を書きとめようとして根気が尽きたものと思われます。

**********************************************************************

 

2001年9月10日 月曜日(台風が近づいてきた日)

 

デイケアの1泊ツアー。病院から車で30分ほど離れた、沼のほとりにある自然少年の家へ。

患者10名と実習の大学生2名と、病院スタッフのHさんとKさんの計14名。

やったこと。

・スポーツ(体育館でバスケット、バドミントンなど)

・ミーティング(生活のリズムについて)

・トランプ、将棋などのゲーム

私は加わらなかったが、トランプは夜っぴてやっていたようだ。タフだ。

なによりもKさんが私にしてくれたアドバイスがものすごく迫力があって胸にこたえた。夜、10:00に眠剤を飲んだ。試しに、水を使わずにかみ砕いてみた。その効果があったのか、あっさりと眠ってしまい、翌朝6:30までよく眠った。驚いた。 眠剤は、こうして服用したほうが効くのだろうか。

(今日のできごと)

・病院の最寄駅の前でバスを待っていたら、となりにいた中年の女性が一緒にタクシーに乗っていこうと誘ってくれた。彼女はB病院の隣の老人ホームに行くらしい。お金を半分払おうとしたが「オバサンにまかせておきなさい」といって1000円はらって「この人をB病院までのせていってあげてくださいおつりはとっておいてください」といって降りてしまった。あとで、運転手さんも「いい人だなあ」といった。本当にそうだ。

・自然少年の家に向かうバスの中。となりにYさんが座った。入院中に酒を買いに行く店はどこか教えてくれた。「どこで飲むんですか」と聞いたら「夜、ふとんの中で飲む」とのこと。

当然、禁酒成功、4日目(3日ぼうずではないわいな)

【約11年後のコメント】

・病院スタッフのKさんは女性のアルコール依存症からの回復者で、当時たしか3年か4年か断酒していらしたと思います。断酒会の先輩でもありましたがその後何年か経って退会され、お会いしていません。最初に会った「女性の回復者」として強く印象に残っています。お元気でいらっしゃるといいのですが・・・

・よく眠れたのは眠剤をかみ砕いて飲んだからではなく(笑)、仲間と一緒にいたからです。その後仲間と寝起きをともにするイベントに数限りなく参加しましたが、いつも爆睡(笑)。

**********************************************************************

2001年9月11日 火曜日(台風直撃、風で木が倒れた日)

 

デイケア2日目。台風直撃。午前中から昼にかけて暴風雨。外での活動は中止。やったこと。

・清掃

・今回のツアーの感想

・トランプ

・プラネタリウム見学(きれいだった。たまにはよいね)

(今日のできごと)

・帰宅はバスを使った。(JRが動かなかった)

・夜はスポーツジムへ。太極拳とボディパンプのレッスンに参加。せっかく体をうごかしても、終わってから飲むのは缶紅茶。あーあ。ここで一句川柳でも読みたい。

禁酒成功、5日目。

【約11年後のコメント】

・この数ヵ月後「酔いざめ川柳」の連載が始まりました。私は幸せ者。

・「ボディパンプ」はバーベルを担いで音楽に合わせてエクササイズをする有酸素運動です。連続飲酒から1週間も経ってないのにこの元気。

**********************************************************************

 

2001年9月12日 水曜日(台風一過、目にとまるものが美しかった日)

 

デイケア。午前中は、女性だけのミーティング。患者は10名。Kさんが司会をし、看護婦さん2名と実習の学生が3名参加。

女性の依存症者は、男性の依存症者よりもなんとなく痛ましくみえる。テーマは「出会い」

こんな話が印象に残った。

・家庭の不和(夫の無関心らしい)から、依存症に。他の病院からB病院にきてデイケアに参加したり、仲間ができたり、やっと孤独ではなくなったのに、もうすぐ退院。病院を離れてやっていけるのか不安で、ここのところ情緒不安定。涙をおさえながら語る様子に胸をうたれた。50歳代の女性(だと思う)

・自分はだれかに頼っていけないと生きていけない。最初はこんな山の中に連れてこられてどうしようと思った。でも、病院で友達ができてよかった。おかげで脱走もせずにすんだし、これからも付き合っていけると思うとよかった。若い女の子(左手の薬指にリングあり。20代かな)

・先の話の若い女の子の友達になった人の話。分かりあえる人たちに出会ってよかった。退院してからも「どうしよう、お酒飲んじゃったよー」などと電話がかかってきたりするけれど「そうしたらまた、やめればいいじゃん」なんていう話ができるようになったし。 先の女の子と同世代だけどやや年上っぽい。左手首にガーゼをまいているのが気になった。

午後はお茶。年配の先生がきて指導。全員がたてるわけではなく、2人が順番にたてて、他の人は飲むだけ。まあまあ、いかにもっていう感じがした。 ところでデイケアで初めて会う人は、みな、私のことを実習生か職員と間違える。まあ、悪いことではないか。

(今日のできごと)

・デイケアの帰り道、トレーニング用のショートパンツを2枚買った。2枚で3150円。お買い得だった。美容院のチラシをもらってカットに行く。たった1800いくらか。安い。

・夜は、スポーツジム。ヨガとプール。ヨガの前に安定剤を飲んだのは失敗だった。眠くてろくにレッスンに集中できなかった。プールは30分ほどテキトウ。

禁酒成功、6日目。

**********************************************************************

 

2001年9月13日 木曜日(「義理と人情」について考えた日)

 

デイケア。午前中のミーティングのテーマ「義理と人情」。テーマを考えたのはRさん。

テーマがテーマだけに、ずばりと腹に入ってくる意見を言った人はすくなかった。印象に残った話。

・(Yさんの話)朝鮮戦争の頃、子供時代を過ごした。スリかっぱらいでもなんでもやらなくては生きてはいけなかった。そんなころは義理や人情を書いたら生きてはいけなかった。このデイケアではまったく義理も人情もないと思う。

・(Kさんの話)自分は、情にもろいほうだと思う。どちらかといえば、人のことばかり考えたり心配したり世話をしてばかりいて、だから自分の子供を亡くしたとき、自分の悲しみや苦しさをどうやって癒したらいいのかわからなかったのだと思う。

・・・このKさんの話なんか、心情的にすごくよくわかる。Yさんの話も直にぽんと腹に入るような気がした。ぎりぎりの状況の中の人の結びつきのなかででてくる「義理を人情」その深さを知っている人からみれば、この寄せ集まりはあまりにもそれが欠けていると思えて当然だろう。無断欠席も多いようだし。

わたしは、「義理と人情」は、人間関係におけるモラルであると思う。義理は世間がどうの、法律がどうのということを超えた、人間関係において果たすべきことがらであり、人情は、これも世間がどうの善悪がどうのということとは関係のない、切られても切ることができない深い情のことである。私自身は義理と人情に厚い人間でありたいと思っているが、依存症になってからというもの、友人との義理も欠けるようになったし、人情にしてみたって、親を傷つけていたのだろうし、大きな悔恨の念をもっている・・・ということを言ってみた。

午後はソフトボール。雨がいまにも降りそうななか、決行。そこそこ楽しめた。

(今日のできごと)

・100円ショップで、525円買い物。入院準備用に、スリッパやプラカップなどを購入。

・スポーツジム。エアロバイク60分。やはり心肺機能が落ちているのが分かる。3週間さぼったからな。そのあとプールで1時間近く。

(今日の一句)

風呂あがり 今日はどれを飲もうか 缶ジュース

焼き鳥も 刺身も甲斐なし ウーロン茶

禁酒成功、7日目。

【約11年後のコメント】

おお、断酒7日目で初めて川柳を作っていたのか!

**********************************************************************

 

2001年9月14日 金曜日(久しぶりにほめられた日)

 

クリニックに診察に。朝イチ。ここ1週間、正しく生活したので、先生もニコニコと機嫌がよかった。血液検査の結果もとくに問題はなかった。なんと丈夫な私の体。

そのままB病院のデイケアへ。今日の午前中は「創作」だった。みんな思い思いにビーズ細工や細木細工やら粘土細工やらをやっていた。私は習字をやってみた。たまにはいいもんだ。

午後は院内断酒会。スタッフの司会がうまい。

参加者は入院中の人が20人弱、デイケアのメンバーが10人弱。看護婦さんたちも何人か参加していた。例によって、指されて発言する方式。テーマは「あせり」。

多くの人が、仕事のこと、病気のことについてのあせりを口にした。当然だろう。中に何人か「過去のことはとりかえしがつかないから考えても仕方がない。これから先のことは、考えても何が起こるか分からないから考えない。とりあえず今のことだけ考えているからあせってはいない」というような趣旨の発言をした人がいた。本当にそんなふうにふっきれているのか、疑問に感じた。本当にそんなに達観しているのだろうか、疑問だ。ふりきった過去に傷つけた他者や、自分のしてしまった過ちについてはどうとらえているのか、これからさき、どのように生きていきたいのかという人としてあたりまえにもつ希望や目標はないのか。

私は、自分がつい1週間ほど前に依存症であることを認めたこと、「酒害とあせり」ということについて、少し話した。仕事から帰ってきてから多めに飲んで眠ったこと、3時とか4時とかに目が覚めてしまい、明日への嫌悪感とあせりから、また2杯、3杯と飲んだこと、禁酒して7日しかたっていないけれども飲まない日を1日1日と続けていきたいことを話した。

最後にゲストのデイケア卒業者(?)があいさつされたときに、まっさきに私の名前を出されたのでびっくりした。「●●さん、若い女性なのに正直に話してくれたので感心しました。」とおっしゃったのでうれしかった。病院から駅までのバスでもこの方と一緒になった。そのときも「ああやって、正直に話したらすっきりしたでしょう」とお声をかけてくださった。久しぶりに人から褒められて単純にうれしかった。

(今日のできごと)

・100円ショップで525円買う。酒が飲めないストレスか。でも、カミソリとか歯ブラシとか必要なものだよ。あと、毛筆も2本買った。今日「創作」の時間に使った筆がひどくってどうしょうもなかったからだ。

・帰りの電車で、デイケアのメンバー4人と一緒になった。Yさんがいきなり「うめ缶チューハイ」を1本あけた。かばんももっていないのにいつ買ったのだろう。足の指の末梢神経がやられているのに、まったく。終点まで私と一緒に乗ったのはXX(名前忘れた!)さんと私だけ。別れ際、彼は「じゃ、月曜日にね」といった。これは単純なあいさつではなくて「飲まないで無事おいでよ」という意味が含まれていたのだと思う。

・お母さんがやっと耳鼻科へ。耳にポリープができているらしい。もう少し様子をみてから手術のとのこと。今朝私がいったことが影響しているのかもしれない。朝少し気持ち悪いのなんのといったから「耳と関係があるんじゃないの。悪いけど私、お母さんが具合が悪くたって、自分のアル中で手いっぱいだからね」と言ってしまった。そうしたら「自分のことだけ考えていればいいんだよ」ととくに皮肉もこめず怒りも込めずに答えた。以前の私ならこんな言葉は吐かなかったように思う。自分のことを本気で考えるようにもなったし、これまでは日々の対人関係のストレスは酒で紛らわすのが当然だったから「つとめて優しく接する」ということができた。けれども禁酒した今はそれができなくなり、人を「突き放す」ことができるようになってきたのかもしれない。こうやって悪い癖が少しずつ直っていくとよい。

・夜はスポーツジムへ。ABCのクラス30分と、ハイドロサーキットのクラス30分をこなした。

(今日の一句)

牧水 放哉 山頭火 あなたのようには生きられません

禁酒成功、8日目。

【約11年後のコメント】

母への対応に注目。当時は「これでいいんだ!」と本気で思ったのでしょうが、今読むと本当に思いやりのない言い方です。ごめんなさいm(._.)m。

**********************************************************************

 

2001年9月15日 土曜日(たくさん洗濯をした日)

今日は、祝日でデイケアが休み。朝から洗濯した。洗濯機を3回まわす。部屋をかたづけ、自分の部屋のテーブルにワープロをおいた。

4時ごろスポーツジムへ。ボディパンプ60分のクラスのあと、20分程度プールにつかった。これから作るホームページの構想を練ろうと思う。

ふと、こんなふうに自分の生活から酒を封印してしまって不安になる。が、やらなきゃ。

(今日の一句)

・酒断って すこしわがままになる わたし

・「また明日ね」の言葉に 込められた思いがわかる 仲間うち

禁酒成功、9日目

【約11年後のコメント】

・酒がとまって9日目にしてすでにホームページ作成の構想があったとは!(笑)。実現したのは11年後。

**********************************************************************

2001年9月16日 日曜日(パソコンを買った日)

 

パソコンを買いにいった。Sさんに手伝ってもらったので10:00に有楽町のマリオンで待ち合わせ。元の「そごう」が「ビックカメラ」に変身したのでそこにいってみたかったからだ。

機種については、Sさんがほぼ2機種にしぼっておいてくれた。IBかNECかの選択でNECのLavie にした。メモリ増設とか、全損保険とかあわせて21万2千6百40円だった。キーボードのカバーとマウスは、Sさんにプレゼントしてもらった。

お昼をごちそうになったあと、スバル座で映画をみた「千と千尋の神隠し」おもしろかったアニメ映画なんて子供のころ見たきりだったけど、映像がとてもきれいだったし、内容もひきこまれた。Sさんも感動していたようだ。宮崎駿監督の映画はビデオで借りてみるようにしよう。

映画が終わったら6:30だったので神田の寿司屋に連れて行ってもらった。2人でそこそこに食べて3000円くらい。安かった。飲まなかったせいもあるけれど。

家に帰ってきてから私がバックを開けているのをみていたから「飴とガムしかはいっていないよ」といったら「いや、ビールでも出すんじゃないかと思って」といったからとても腹が立った。その瞬間まで酒が飲みたいなんて思っていなかったのに、頭にきた瞬間、強烈に飲みたくなった。ちょうど安定剤の効果がきれたころだったせいかもしれない。あまり、そんな一言一句で腹を立ててはいけない気がするけれども、ちゃんと怒ったほうがよいのかしら。

(今日の一句)

・酒飲めず 寿司もハンバーカーも同じこと

【約11年後のコメント】

・Sさんは登山チームの先輩で、優秀なシステムエンジニアでした。この日を最後にお目にかかっていません。私自身がこの時点で山から離れてしばらく経っていましたが今でもお元気でしょうか。いろいろご迷惑おかけしました。

・帰宅してからのエピソード。主語が入っていませんがこのセリフは母が言ったものと思われます。もう忘れていました。飲酒欲求も深刻なものではなくて小腹がたったので日記にぶちまけたものと推測します。幼稚。

**********************************************************************

 

2001年9月17日 月曜日(1日中病院にいた日)

 

デイケア。午前中はメンバーミーティング。テーマは「チャンス」。

B病院に入院したことが大きなチャンスだと思うという答えが多かった。仕事をみつけるチャンスがほしいといった人もいた。子供にあえるチャンスをみつけたいといった人もいた。デイケアに通っていることがチャンスだと言った人もいた。

私にとってのチャンスは、まず、偶然に選んだクリニックからB病院につながり、その病院がアルコール専門の治療に力をそそいでいる所であったことが、依存症から回復していく大きなチャンスを得たと思っていること、そして自分が依存症になったことは、1人の人間としての心の成長をしていく一つのチャンスであるのではないかということを述べた。自分の過去を振り返るとき、「もしも」というのは野暮だけれども依存症になっていなかったら、傲慢で外見は立派な大人でも中身は子供、という人間になっていた可能性も高い。

午後は、今週の予定を確認。土曜日にやる調理の献立を決めたり、メンバーミーティングの司会を決めたりした。

この日は18:30から病院内の自助グループに参加。SさんやUさん、Oさんが世話役となって、新館4Fでやっている。5、6人のグループになって、その日のテーマについておしゃべりをするだけ。テーマといってもあまりしばりはない。今日のテーマは「社会参加」。

同じテーブルについた男性4人は、職場から休みを取って、入院している。退院が近い人も多い。女性2人のうち、ひとりは、世話役の1人であるOさん、もう一人はNさん。印象に残ったことを少し。

・Oさんは、60歳くらい。昨年38年連れ添った夫と離婚。その前は12年間、鬱病とアルコール依存症を患って、B病院を出たり入ったりしていた。すでに脳に委縮がみられるそうだ。昨年自己破産をしたという。結婚生活の苦労がしのばれる。娘さんは、「お母さんは、B病院からでなければ社会復帰したとはいえない。病人のままだ」というという。というのは、Oさんは生活保護を受けながら、午前中だけ病院の掃除のパートをしているのだ。依存症からの回復中ということで時給は500円であるという。しかし、生活保護で支給されるお金から、そのわずかな収入分は差し引かれてしまうのだそうだ。毎月訪れる福祉担当の市の職員には、生活上のことを根掘り葉掘り聞かれるし、本当は生活保護など受けたくないという。あと、Oさんはスモーカーなのだけれども、以前はラークを吸っていたのにいまは「わかば」(160円だそう)を吸う身の上になってくやしいという。飲んでいたときはウィスキーを生のまま1日1本飲んだとういう。もちろん今は飲んでいない。(何年飲んでいないのか、聞いたけど忘れた)けど、飲みたいと思うという。また、「女がアル中になるには何かはっきりした理由があるにきまっている。理由もなくなるものではない」と主張した。

・Nさんは50歳近い。もっと若く見えてもう少し手をかければなかなかきれいな人になるのではないかと思う。17歳のときから44歳まで飲み続けてきて、どうしてここまできてこんな病気になってしまったのかといっていた。連続飲酒の時の様子が私とほとんど同じで面白かった。顔も洗わず、歯も磨かず、風呂も入らず、着替えず、酒の瓶はためたまま、コップは汚いまま、などなど。男の人たちは「うぇー」といっていた。

Sさんによれば、依存症になる男女問わず中性化してくるし、逆に色気、すけべ心などがあるうちはまだ救いがあるとのこと。

・離脱症状の幻覚について、体じゅう虫がはっているような幻覚、向かいから歩いてくる人がすべて夫に見えたという幻覚についてOさんが語っていた。

・男性4人は、「きっぱり断酒する」とは誰も言わなかったのが印象的。

・睡眠剤について。ベケタミンAは通称「赤玉」、もう少し弱いベケタミンBは「白玉」と呼ばれて、病棟でよく使われているようだ。だが、最近Aよりも強いベケタミンCというのが存在するとの情報。ただし強すぎるため、院内では使用されていないとのこと。

あと、この日の夕食は17:40ころから病院の食事(入院患者と同じ)を食べることができた。350円。この自助グループの参加費は100円。20:20でお開き。

【約11年後のコメント】

・文中のNさんはそれから1年もせずに亡くなったと記憶しています。残念なことにお酒は止まらず、一人でアパートの一室で亡くなったとお聞きしました。きれいな人でした。お話を聞いても性格も頭も良い人だなあと思ったのを覚えています。

まったく私の根性のないこと!!

結局10日しか日記は続かなかったのでしょうか。当時、もう少し長い期間、日記を書いていたように思うのですが、見つかりません。ワープロで打っていました。フロッピーディスクに記録したものが残っていればいいのですが・・・しかし今時フロッピーディスクもあまり見ませんね。今、私が使っているパソコンもフロッピーディスクは読めませんし。けれども10日分だけ残っていただけでもよしとしましょう。

駄文ひとすじ ~載りも載ったり十七年 ~

PAGETOP