明け方に、つい飲んでしまったのがいけなかった。
酒が切れて目が覚めた。一杯だけと思って飲み始めたら、止まらない。こうなるともう、朝となく昼となく飲み続けてしまう。大丈夫。ボトルはまだ、手つかずのやつがまだ一本残っているから。こっちのボトルにもあと四分の一くらい残っている。昨夜、日付が変わる寸前、やっとの思いで買いに出かけた甲斐があった。枕元に置きっぱなしの、ぬるいミネラルウォーターなんかで割って飲むと気分が悪くなるから、薄汚れたグラスを傾けて、ボトルからウィスキーを注いで一気に飲み干す。グラスを傾けるのは、もちろん酒をこぼさないようにするためだ。
なじみの感覚が、一瞬にして、やってきた。もう少し飲めば大丈夫だ。
足音をたてないように台所へ行き、グラスを洗って氷をたくさんいれてきた。今度はボトルからゆっくりと注ぐ。氷が割れるいい音がして、グラスが汗をかいてくる。手が痛いくらいに冷たくなったところで、ごくごくと飲む。のどが渇いているのだ。吐きそうになっても気にしてはいけない。 のどが渇いているのだ。
冷たくておいしい飲み物は、すぐになくなってしまった。ただ、目が覚めたときに比べると、気分はずいぶんよくなっていて、なんとか今日一日くらいはすごせるような気がしていた。もう一度、ボトルを傾けたら、ボトルは空っぽになってしまった。でも、大丈夫。もう一本あるから。そっちが空く前には眠ってしまうだろう。しばらく眠ったら、酔いも覚めて、また酒を買いに出かけられるだろう。眠ってしまうまでの間は、本を読んでいよう。もう何回となく読み返していてぼろぼろになっている本が何冊も重ねてある。そのうちの一冊を手にとって読み始めた。こうして、慣れ親しんだ本の内容と酔いとが、もはやしらふでは耐え難くなってしまった一日をやりすごさせてくれるのだ。
今から一年前の、私の姿である。
十五年間の間、何度、こういう状態に陥ったかわからない。短くて三日くらい、長くて一週間くらい。ことに最後の二年間がひどかった。仕事をやめたあと、三ヶ月以上飲むだけの生活をしていた。後に、それが「連続飲酒発作」と呼ばれるアルコール依存症患者が示す典型的な症状であることを知った。
昨年八月に起こした最後の連続飲酒をきっかけに、私は医療につながった。二日間、離脱症状(という言葉も当時は知らなかったが)で苦しんだ後、近くの精神科にかけこんだ。両手を前に出してみろといわれて差し出した両手の指先が細かく震えていた。血管が細くなっていたのか採血がうまくいかず、看護婦さんが何度も針を刺しなおしながら「ごめんなさいね」と言った。
病院へ行こうと決めた時点で酒はやめなければならないだろうと確信していた。朝も昼も、のどから手がでるように酒を求める衝動が恐ろしく、また苦しかった。一生こんな衝動に追いかけられて過ごすのかと思うと、いてもたってもいられなかった。なんとかしなければ。
結局、私は「立派なアルコール依存症」と宣告されたが、否認する気は起こらなかった。医師の「今度、飲んだら即、入院してもらいます。まあ、また、飲むでしょう。そう簡単にはやめられませんから。でも、ぶらぶらしているのもよくないし、体を動かすアルバイトでもしてみたら」などという能天気なアドバイスは無視した。次の日からアルコールデイケアに通い始めたのである。思えば、運がよかった。自宅から一番近いという理由で選んだその病院は、アルコール専門病棟をもつ病院と提携していたのである。
あれから一年。
なんとか、飲まない一日を積み重ねることができた。自分の意志の力ではない。病院に通っているあいだはデイケアの、仕事についてからは自助グループの仲間や先輩から、今日一日を飲まずに生きる力と智恵をもらった。
この力は、一体、何なのだろうか。それは、悲しみや苦しみを分かち合うことから生まれるものであると思う。バカにされた。捨てられた。格好悪かった。悲しかった。無様だった。傷ついた。後悔した。そんな感情に共感しあうことから、私は、癒しと勇気をもらい続けている。それだけではない。過酷な状況のなかで「飲まない一日」を生き抜く仲間の姿を目にすると、人間の底力、さらに言えば人間の尊厳のようなものを感じさせられる。みんな、すごい。
一年前、飲まずに生きる決心ができて本当によかったと思う。そして十五年もの間、飲み続けた自分の姿を忘れないようにしたい。それは当時の自分に戻りたくないという思いだけではない。苦しみからは、それを乗りこえて生き抜く力が、悲しみからは喜びが、孤独からは他者へのいたわりと共感が生まれることを学んだからである。