タイトル 失踪日記 アル中病棟(失踪日記2)<第4回>
著者 吾妻ひでお
出版社 イースト・プレス
【読みながら、思うことを少しずつ(2)】
「失踪日記」
~アル中病棟~
この章では、アル中の病状が進んでしまい、都内の精神病院のアルコール病棟に入院することになった吾妻氏自らの体験が描かれている。
酒を飲んで外で酔いつぶれていたところ、おやじ狩りにあってボロボロになって帰宅した吾妻氏は、奥さんと息子さんに両脇を抱えられて都内のH病院に入院した。1998年12月25日のことである。
アル中病棟での自分のこと、病棟のこと、入院仲間のことが描かれている。
私はアルコール病棟に入院したことはないものの、数カ月間、アルコールデイケアに通った経験がある。アルコール病棟のすぐ近くで過ごし、退院直後のアル中仲間とも一緒に過ごした。2001年9月から12月くらいまでのことである。吾妻氏がアルコール病棟に入ってからちょうど3年くらい後のことだ。病院こそ別だが、雰囲気はあまり違わないのではないだろうか。とても親近感が湧く。
氏の描くアル中たちは、本当にこの通りで、「ちょっと壊れちゃった人たち」の様子がいきいきと伝わってくる。
最後のページで、氏は入院仲間をみて「なんか おっさんとおばさんの青春ドラマみたいな…」とつぶやく(P194)。
これなども、私自身、病院に通っていた当時よく思ったものだった。
「うーん、ここは飲みすぎてダメになったんで、いったん保護してもらえる幼稚園のようなものなのかな」と。
もう少し時間が経って自助グループの中で過ごすようになると「ああ、飲んでいる間は成長がとまっていたので、いい年してから失われた青春時代を取り戻させてもらっているのかな」とか。
自助グループの話もでてくる。実は「失踪日記」の裏表紙に「裏失踪日記」というおまけインタビューがついている。私も再読するまで気づかずにいた。その中で吾妻氏は、とり・みきさんからの「いまアルコールのほうは?」との質問に「止めていますよ。断酒会で五段の免状をもらいました」と回答しており、さらに「(断酒会には)最近は行ってないですね。一応会費を払って会員は続けてるんだけど。」と発言している。
アルコール病棟のプログラムでは、ある時期になると自助グループへの参加が義務付けられ、ほとんどの人がAAと断酒会の両方に参加する。退院後はそのどちらかに通うことが推奨されるが、実際に通い続ける人は少ないのが実情だ。そんな中でも吾妻氏は断酒会を選び、五段ということで、5年目を迎えられたのは同じアル中として実にうれしい。
入院中に、病院から外出して参加した初めてのAAミーティング(P181~182)の様子が描かれており、氏が面食らっている様子がよく伝わってくる。頭にターバンを巻いて30分以上、訳の分からない話をする女性の司会者が出てきて、たしかにいる、こういうメンバー(笑)、と思ってしまった。「裏失踪日記」とは別に、巻末のとり・みきさんとの対談で吾妻氏はこのように発言している。
「断酒者の用語も気持ち悪いんだよね。「『私はAA(断酒会)につながって助かりました』って言うんだけど、その『つながる』っていうのが、語感がなんか気持ち悪い(笑)。」P199
これとほぼ同じセリフをAAのミーティング(やミーティング外の雑談)で何回も聞いた。これはここがオリジナルだったのか(笑)。それとも共通の感じ方として噴出しているのか。…私もそう思う(笑)。
この世界ではあたりまえに使う言い方だが、おそらく他に適切な言い方がないというのがあり、また、一方で「すごく日本的な言い方なのでは」という気がする。つながって助かる、というのも事実なんだけれども、本来「このコミュニティにジョイン(参加)する!」とコミットメントするというか、そうあるべきなのではないか。日本の社会というのは自ら手を上げてそのコミュニティに入る、という習慣がないのが、この「つながる」という、ある種曖昧な、依存的な表現になっていると感じる。
まだ、続きます。次は次巻「アル中病棟 失踪日記2」にいきます。
(記:2023年5月11日)