新・「アル中本」を読もう! 失踪日記 アル中病棟(失踪日記2)<第2回> (吾妻ひでお)

タイトル 失踪日記 アル中病棟(失踪日記2)<第2回>
著者 吾妻ひでお
出版社 イースト・プレス

【時系列にまとめてみると…】

吾妻氏と自助グループの関わりを追おうと思って「失踪日記」「アル中病棟」の2冊を拾い読みしながら、一度、氏の人生に起きた出来事を簡単にまとめさせてもらったほうがいいかな、と思った。2作品は時系列に沿って書かれている訳ではないからだ。吾妻氏の身にどのようなことが起きたのか、本から拾える範囲でまとめてみたい。せっかくなので一部、経歴、受賞歴などはインターネットで調べた情報(ネタ元はWikipedia)を加えた。

1950年2月6日 北海道に生まれる
1969年 漫画家としてデビュー
1973年 結婚
1979年 第10回星雲賞コミック部門受賞(『不条理日記』)
1980年 長女誕生
1983年 長男誕生
1989年11月 1回目の失踪
1990年2月 帰宅
1992年4月 2回目の失踪 日雇いで肉体労働、のちに配管工の仕事に就く
?年?月 帰宅後、漫画家として復帰
1997年 12月 アルコールの問題、悪化(手の震え)
1998年 春 アルコールの問題、ますます悪化(連続飲酒)
1998年12月H病院 アルコール依存症病棟に入院
1999年 3月頃? 退院
2005年3月 「失踪日記」発行
   2005年 第34回日本漫画家協会賞大賞受賞(『失踪日記』)
   2005年 平成17年度(第9回)文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞(『失踪日記』)
   2006年 第37回星雲賞ノンフィクション部門受賞(『失踪日記』)
   2006年 第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞(『失踪日記』)
2013年10月「アル中病棟(失踪日記2)発行
2019年10月13日 食道がんにより69歳で死去。
2020年 第40回日本SF大賞功績賞

まとめさせてもらってよかった。こうしてみると、若い頃からよく働き、結婚して妻子を養い、晩年に成した仕事が高く評価された。特異な人生、数奇な一生、という訳ではなく、案外、普通の男性の一生に近い。もっと破天荒な生き方をした人なのかと思っていた。もっとも、漫画家という特殊な仕事、そしてアルコール依存症を患ったことで「妻子を養い」といえども、ご家族の苦労は大きかっただろうと思う。とはいえ、奥様はもともと氏のアシスタント、お子さんたちもアシスタントとして氏を支えた時期もあったということなので、夫婦、親子の関係はトータルでみて、破綻せずにすんだようにみえる。それは氏が49歳のときに「アル中病棟」を退院して依頼、断酒を続けた賜(たまもの)に違いない。アルコール依存症者が断酒しなかった場合の平均寿命が51~52歳ということを考えれば、まさにギリギリのところで止まった感がある。そして断酒6年を経て発表した「失踪日記」が高い評価を受け、多くの賞を得た。以下、Wikipediaより引用する。

なお、「漫画三賞」といわれる、日本漫画家協会賞大賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞を3賞とも受賞したのは、2007年時点で吾妻だけであった。

Wikipediaより

おそらく2023年4月の時点でもこの吾妻氏の受賞記録は抜かれていないのではないか。「失踪日記」はさほど高く評価されたのだ。「失踪日記」から8年後、吾妻氏は「アル中病棟(失踪日記2)」を発表。その6年後に亡くなった。吾妻氏の人生の流れを拝見してみると、あらためて「アル中病棟(失踪日記2)」が絶筆だったことに思い至り、静かに感動した。

アルコール依存症から回復中の身としては、同じ病の仲間が断酒を続け、家族とのつながりを失うことなく仕事に復帰して、しかも高い評価を受けたことは、本当にうれしく感じる。アーティスティックな才能を持つアル中は酒を断って才能を活かしたほうがよいし、アーティスティックな才能を持たない市井のアル中も酒を断って人とのつながりを得て、今日一日生きてほしい。
(記:2023年4月23日)

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