新・「アル中本」を読もう! 「写し」(「ダブリナーズ」より(ジェイムズ・ジョイス)

タイトル 「写し」(「ダブリナーズ」より)
著者 ジェイムズ・ジョイス 訳/柳瀬尚紀
出版社 新潮文庫

もう10年以上前のことになってしまった。自助会の機関誌に「アル中本を読もう!」を連載していたときのことである。ある支援職の方から、「『ダブリナーズ』の中の『写し』という短編、あれはアル中本ですよね?」と聞かれたので、書店に走って新潮文庫の棚に置かれた本書を入手した。

著者のジョイス本人っぽい男が酒場のカウンターに腰掛け、グラスを手にした絵が描かれた表紙は、渋くてカッコいい。

Counterparts、邦題「写し」は文庫本で18ページの短編だ。原題のカウンタパーツ、ってなんだろう、と思って調べると、「写し・複写・2通作った証書の1通」とあった。

時代は1800年代の終わり頃から1900年代初頭と思われる。ダブリンで暮らすファリントンというアル中は、法律事務所のようなところで働いている。彼の主な仕事は書類を複写することであるが、たびたび仕事をさぼって酒を飲みに出るため、「写し」が作れない…という一日の物語だ。

夕方までに(上司曰く4時までに)契約書の写しを5部作らなければならないのに、このファリントン、一向に仕事が手につかない。

「昼休みは半時間だ、1時間半ではない」by上司のアレイン…ということで、昼休みも仕事をさぼって、飲みに行っていたようだ。上司に叱りつけられた後、ペンを持って1行書いたが書き間違えて手が止まる。

日が暮れかけていて、もうじきガス灯に灯が点る。それから書いてもよかろう。喉の渇きをいやさなければおさまらないのを感じる。(P144)

…ということで、そのまま酒場へ。黒ビールを1杯飲んでキャラウェイを1粒もらって職場へ戻る。キャラウェイは言うまでもなく酒の匂いを隠すためだろう。黒ビール1杯に1ペニー払って、彼の持ち金はすべてなくなった。

職場に戻ったら、またまた上司からの叱責。女性の顧客の前だったのもあり、ファリントンはつい「フェアじゃない」と反論して上司は激怒。結局、平身低頭して謝るはめに。
ファリントンは

「憤怒が募り、喉が渇き、復讐心がわき、自分自身にむかむかし、誰彼かまわずむかむかした」(P149)

文無しの彼は懐中時計を質屋に入れることを思いつき、6シリング借りることに成功。1シリングが12ペンスなので、黒ビールがとりあえず72杯は飲める金額だ。しかし、3件の酒場を、奢ったり奢られたり飲みまわり、ボケットの金はわずか2ペンス残すだけに。帰宅すると、妻は教会へ行って留守。暖炉の火が消えていることを理由に幼い息子をステッキでぶんなぐるファリントン。息子は「ぶたないで、父ちゃん! 僕…僕がアヴェ・マリアのお祈りをしてあげるから」と泣きながら訴え続ける。

…と、思わずあらすじを書いてしまった。しかもネタばれしている。

フツーに見て、このファリントン、本当にひどい男だ。
理不尽にステッキでぶたれる幼い息子も可哀想だが、私はファリントンのほうが、より可哀想だと感じてしまう。アル中の事情と心情が手にとるように、自分のことのように感じられるからだ。「怒り、一瞬の慰め・高揚感、絶望、無気力」そして絶え間ない「渇き」。そして本人には自覚することもできない「孤独感」。これらに追いかけられて、逃れられずにいつか死ぬ。

それにしても100年以上の昔に描かれた相も変わらぬアル中の姿。当時は、病気の症状としての飲酒という考え方はなかったはずなのに、見事に描かれている。ジョイスは「20世紀の最も重要な作家の1人」と評価されているとのことで、やはりそうなのか、と思う。

ウィキペディア、その他インターネット上の資料をいくつか読んでみたが、ジョイス自身の人生にもアルコールの影は深く入り込んでいる。それでも才能と人間的な魅力のためか、家族、友人をはじめとする多くの人に支えられて、58歳まで生きた。

物語の最後に出てくるアヴェ・マリアの祈りは、カトリックのとてもポピュラーなお祈りらしい。「わたしたち罪人のために、今も、死を迎える時も、お祈りください。」という一節に、打たれる。

(記:2023年1月4日)

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ダブリンの街並み photoAC
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