「ニホン、イゾガシ。バラナシ、サワガシ」 インド・バラナシ旅日記<前編> ―― 1998年4月~5月 ――

4月25日

さあ、インドだ
20:10。約10時間のフライトを終え、デリーのインディラ・ガンジー空港に着いた。2度目のインドは、どんな旅になるだろう。

入国審査を終えて両替をする。レートは1ドルが39.20ルピー。日本円にすると。1ルピーは約3.5円になる。トラベラーズ・チェックで100ドル両替した。
「ごまかすんじゃないわよ」と牽制するために電卓を出してみるが使えない。ソーラシステムの電卓を使うには、ちょっと暗いのだ
窓口にルピーが投げ出される。100ルピー札39枚に10ルピー札が2枚。しっかり数える。穴のあいた100ルピー札を1枚「チェンジ」といってとりかえてもらった。穴があいていたり、破れていたりするルピーはどこで出しても受け取ってもらえない。

殺されないでホテルまで!

夜のインディラ・ガンジー空港からホテルの部屋までたどり着くまでが、手始めの難所だ。
ホテルは予約していない。あえてホテルを予約しなかったのは、たとえ予約がきく高級ホテルであってもリムジンバスかなにかで迎えにきてくれないかぎり、一人でタクシーに乗る緊張に耐えなくてはならないからだ。
がんばろう。私だってバックパッカーのはしくれではないか!
作戦その1。空港から町へ向かうリムジンバスでニューデリー駅前まで行き、駅前のパハールガンジでホテルを探す。
作戦その2。空港内でホテルを予約してホテルから迎えにきてもらう。
タクシーに一人で乗るのは避けたい。運転手が頼んだ所へ行ってくれず、違うホテルやみやげもの屋やらに連れて行かれるということはよくあるし、何より運転手が強盗に変身した日には、目も当てられない。
飛行機の中で作戦を練った時に考えた最重要課題は「命を落とさないこと」「強盗、恐喝その他恐い目に遭わないこと」だ。あとは「100ドル単位でボラれないこと」に気をつける。今は夜で、こっちは女一人なのだ。この条件下では、ゼッタイ油断は禁物だ。
作戦その1の難点は、バスに乗ったはいいが、どこで降りていいのか分からないのでは、ということだ。作戦その2は、迎えが確かにホテルからのものか確認できるようにしておけば、一番いいかも。
サービスカウンターに相談する。1泊50ドルのJanpath ホテルを予約して、ホテルからの迎えを頼んでほしい旨を伝えたが、ホテルからの出迎えはできないとのこと。
なんやかやで、結局890ルピー(約3100円)の“Swiss Continental”という、ごたいそうな名前のホテルに、プリペイドタクシーで向かうことになった。タクシー代は400ルピーで、相場のきっちり2倍だった。おそらくホテルも相場の2倍の値段なのだろう。しかし法外な額とはいえないから、金のことはあまり気にしないことに決めた。タクシーは安全かと念を押したら、政府のタクシーなんだからもちろん安心よ、とカウンターのお姉さんは言った。警察があてにならないく人の役人のいうことだからなあ、と思わないでもなかったけれど、空港の内側というのは悪質な連中が入ってこられない、いわば最後の砦なのだ。間違った選択ではないと判断して、タクシーに乗り込んだ。

スイカ食うかい

運転手はしゃべりすぎず、さほど無愛想でもなく、インドは初めてかとか、この道を反対側にまっすぐ行くとジャイプルに着くんだとか、下手な英語で話しかけてくるので、こっちも下手な英語で応酬する。路上のスイカ屋の前にとまって「スイカどう? うまいんだぜ」などと言われたけれども断る。スイカはいいから早くホテルへ行ってくれー。
間違いはないと思うものの、町まで20キロ近い道のりは、やはり緊張した。
やがてタクシーは、町中に入った。これでひと安心。
“Swiss Continental”は中級ホテルの造りで悪くはなさそうだった。タクシーを降りるとき運転手からチップを求められたので10ルピー奮発した。あげる必要がないのは知っていたけれども、インド人にしては朴訥な感じがする人だったし、なにより1度で目的地に着いたので、うれしくなってしまったのだ。
部屋にはTVがあり、エアコンもついていた。水シャワーをあびて、機内でもらった缶ビールを飲んだ。これでビールとはしばしお別れだ。

4月26日

心は踊る、旅の空

6:00起床。
ベランダにでる。人通りは少ない。ゴザを立てて、丸く囲った路上生活者の家がいくつか見える。向かいのビルは、上の階の窓ガラスが全部壊れている。そのとなりのビルも損傷が激しい。それでも内側では人が生活しているようだ。摩訶不思議な感じのデーヴァナーガリー文字の看板が並んでいるのを見ると、いよいよインドに来たのだという実感がわいてきた。わくわくする。
温度計を見る。35度もあって驚く。体感温度はそれよりずっと低い。
警官が通りかかったので、あわてて後ろへ下がる。まさか短パンをはいて足を見せたかどでどつかれはしないだろうけれど、インドの警官は、みな銃と警棒をもっていて大変に威張った感じがする。全面的に信用できるならともかく、よく悪さをするというから嫌になってしまう。
7:00にフロントに行ってお茶を頼むと、レストランに案内された。ポットの紅茶を飲み終えた頃、従業員がやってきて11ルピーだという。1ルピーないと言うと、じゃあいいよ、ということになった。いいかげんだ。 8:30にタクシーに来てもらうように頼んであったので、それまで1時間ほど散歩に出ようとしたら、フロントのオニイサンにとめられた。もうタクシーがこっちに向かっているからだめだという。
「なんだ、テメー、8時半だって言ったじゃんか。客の要望に沿えないのか、高い金とりやがってえ」
・・・とはすごめない。
というわけでチェックアウト。支払いをしている間に運転手が迎えに来た。運転手にしてはきちんとしたシャツにズボンに靴で、身ぎれいだ。国内線のパーラム空港までいくらだときくと、無愛想なフロントのオニイサンが「えっ?空港なの?」という顔になった。昨日言ったじゃんかー。 迎えに来たのはガイドか何かだったらしい。などとやっているなか、フロントのオニイサンがなかなか32ルピーのおつりを返してくれない。ごちゃごちゃしている最中にネコババする気と踏んだ。2回くらい同じことを言ってなんとか32ルピー返してもらう。まったくもう、ハンサムな顔してイケスカナイんだから。2ルピー札をさっきレストランで1ルピーまけてくれた従業員に返した。タクシーがきた。パーラム空港までのタクシー料金を、フロントのオニイサンにきいたところ450ルピーだという。昨日のタクシー代も450ルピーだったが、国内線の空港は国際線の空港より数キロ手前にある。400ルピーで手を打つ。これでも高いのだけれど、昨日450ルピー払ったことが知られているので、それ以上の交渉は難しいのだ。

だまされた!

「わっ、やられた」と気づいたのは、タクシーの中だった。
朝飲んだ紅茶。ホテルの部屋にあったメニューに、たしか紅茶は10ルピーだと書いてあった。あの従業員は、1ルピーだましとろうとしたのだ。それなのに、さらに1ルピーやってしまったではないか。インド人っていうのはー、もう。(やってくれるじゃんか)
インドの旅では「ルピーをめぐる闘い」がつきものだということを思い出した。今日からはがんばろう。

いざ、バラナシへ

チェックインをすませると、身体検査と荷物のチェックをされた。荷物をチェックした係員は、私のリュックをかなりまじめに調べている。念入りなことだなあ、と思っていたら、なぜか新品の乾電池を8個とりあげられてしまった。バラナシで返してくれるという。乾電池なんかあずかって何か意味があるのだろうか。
飛行機に乗り込んでから40分ほど待たされた。うとうとして目を覚まし、そろそろ到着かしらと思ったら、まだ飛んでいなかったのだ。
バラナシには午後1時近くに着いた。
暑い。これぞインドの暑さだ。
狭い空港ロビーは人でごった返している。早くも客引きが騒々しい。国内線の空港には客引きどもも入れるらしい。全部「ノー、ノー」で追い払ってバスのチケット売場に急ぐ。売場の若いオニイチャンはなかなか感じがよくて預けた乾電池もすぐに持ってきてくれた。町までのチケット代は25ルピーだった。いずみちゃんともどもバスに乗る。いずみちゃんというのは、デリーの空港のロビーで一緒におしゃべりをした若い女の子で、話からすると22、3歳らしいが、童顔で10代に見える。問題は彼女がまるで英語が分からないことだ。バスに乗るとき「フレンドって何?」と聞かれた。さっき空港のロビーで客引きに言われたらしい。大丈夫かなあ。ちなみに「フレンド」といって近づいてくるインド人を信用してはいけないというのがインド旅行者の鉄則だ。

バスでゆらゆら

バスが出発した。
窓から熱を含んだ風が飛び込んでくる。今朝、デリーの路上を眺めたときと同じ高揚感が胸の奥から湧いてくる。やっぱり旅はいい。
隣の席にも日本人の男性の2人連れがいた。若い人と、もうすこし年かさの人との組み合わせだ。
聞くと、いとこ同士とのこと。年かさの人のほうは、インドは2度目で20年ぶりだそうだ。今回のインド行きについては奥さんの許可がおりず、いとこを同行させることでなんとか説得してやってきたという。
40分ほどでバラナシ駅の裏手にバスがとまった。ゴウドリヤという所まで行けるつもりでいたのだが、どうやら本当に終点らしく、折り返し空港に行く人たちが乗り込み始めたのであわてて降りた。

オートリリキシャとトラブる

バスを降りてから、しばし日本人どうしの集団行動になった。いとこ同士の2人連れと、私といずみちゃんと、男性の2人連れがもう1組。彼らは会社の同僚だという。全部で6人だ。みな、昨日デリーに着いてからバラナシまでのわずかな旅で苦労したせいか、会ったばかりなのに、割合すぐうち解けた。全員が同じ便で帰国することが分かって「サラリーマンは悲しいなあ」と言って笑い合った。
みな、ガンガー(ガンジス川)近くでホテルを見つけたいという。今いるのは駅の裏手なのでガンガーに向かうためにはまず、駅の反対側へ行く必要がある。
跨線橋を渡った。通路に赤い上着のポーターが、昼寝している姿が目立つ。手足にハエがとまっても、少しも気にしていない。
駅の構内に入ると、床にゴロ寝をしている人々が多いので驚く。足の踏み場もないほどだ。炎天下の路上生活者が昼寝の場所を求めて入ってきたものらしい。駅を出ると私たち日本人集団は、サイクルリキシャかオートリキシャに分乗して「ゴウドリヤ」交差点まで行くつもりで交渉を開始した。
サイクルリキシャは、3輪の自転車の後ろに幌付きのシートをとりつけた乗り物。オートリキシャは、3輪の自動車で前が運転席、後ろが客席になっている乗り物だ。
駅前のことで、リキシャの運転手がぞろぞろ集まってくる。おそろしくやかましい。私の目標はサイクルリキシャ3台にそれぞれ2人乗って1台につき15ルピー以内で交渉することだった。値段交渉中に他の人が15ルピーで交渉成立と聞いてそっちにいってみると、サイクルリキシャではなくてオートリキシャだった。オートリキシャで15は安すぎるな、と思ったが、こちらは複数だし、どうにでもなるだろう。4人と2人に分かれた。大人2人掛けが妥当のシートに3人おさまり、もう1人は運転手のとなりに座った。ぎゅうぎゅうでオートリキシャに揺られる。
未舗装の道もすっとばすので振動がものすごい。
ガタガタガタッタガガガガガガッタンガッタンガタガタガタガタガガガガガ、といった具合だ。路面がでこぼこしていると5センチくらいは飛び上がってしまう。それはそれで結構楽しい。ガタガタしながら見るバラナシの街並みは、1年前と変わっていないようだ。そのうち運転手と、そのとなりの席の男性がホテルの話を始めた。ちょっとまずい。運転手と話をする時にはホテルの話題は避けた方がよい。「とにかくゴウドリヤへ行け」ときつく言ったほうがいいのだ。
30分くらいでオートリキシャは路地裏にとまった。話題にしていたホテルらしい。運転手と、男性の1人が部屋を見に行ったものの、手頃な部屋がなくてもどってきた。
トラブルはここから始まった。他のホテルに連れていこうとする運転手とゴウドリヤへ行けというこちらの言い分が対立し、「降りちゃおう」ということで、15ルピー払おうとすると案の定、
「冗談じゃねえ。ここまで来たんだから100だ」
ということで、もめた。途中、いずみちゃんが「地球の歩き方」をとられてしまった。運転手は、本を鍵のかかるひきだしのようなところに隠した。嫌な野郎だ。
結局100ルピー払って本をとりかえした。インド入りして最初のトラブル。仕方がない。人の判断にしたがった結果だ。本当だったら、最初から私がとりまとめ役をすべきだったのだ。1年前にこの町に来ていて、事情は一番分かっているのだから。
分乗したもう1台は、途中から姿が見えなくなってしまった。多少気にはなったけれども向こうの車は男性2人だから何とかするだろう。
結局、ゴウドリヤまで15分くらい歩き、客引きのすすめで“LARA Guest House”に入った。なぜ客引きの誘いにのったのかというと、「どこだ」と聞いたとき「あれだ」という返事が返ってきたからだ。確かに目の前に看板があった。部屋はツインで電気、扇風機も使える。シャワー、トイレの水もOKだ。225ルピー。いずみちゃんとシェアすると1人112ルピーですむ。一日くらいなら集団行動もいいかもしれない。チェックインしてみんなでガンガーまで歩いた。

ガンガーと再会

懐かしのダシュシャメロードガートについた。ガンガーは1年前と変わらぬ姿で目の前に現れた。
ガンガーには特別な存在感がある。初めて見たときにそう感じだのではなく、朝に夕暮れにガートから川面を眺め、あるいはボートで川の上に浮かびながら、次第にそう思うようになった。川は物理的に目の前に存在している。しかし、この地で見るガンガーはなにか強大な概念が体現したものであって、目に映る物理的な存在よりも、体現した概念の存在のほうが、より強く感じられる。スピリチュアルな世界に親しんでいる人なら、「強いエネルギーを感じる」とか「強い気の流れを感じる」とか、そういった表現をするのかもしれない。
とはいえ、こんな感慨をもののみごとにかき乱してくれるのが、夕暮れ時のガンガーなのだ。

ガートの喧騒「おーい、しみじみさせてくれ」

日中の情け容赦のない日差しが弱まると町には人があふれ、ガートも活気を増す。そしてツーリストは1分たりとも放っておいてもらえない。
「ハロー、マダム。ボート、ボート、ボート。ベリーチープ」
「ボート、ヤスイ、ヤスイ、ノル、ノル」
「絵はがき、ヤスイ。10マイ20ルピーネ。ヤスイネ。イチマイ2ルピー」
子どもの物乞いにも追われる。手を出してずっとついてくる。と思えば、ネックレス売りがネックレスの束を腕にぶらさげて行く手をさえぎる。わけても熱心なのが、小箱を1つ2つ手に追いかけてくる男の子たちだ。箱を開けてみせる。中には色粉が入ったガラスの小瓶が1ダースほど入っている。しきりに手を出せというので出すと、金属片の型に色粉をつけて、手の甲に押してくれる。
「これはシヴァ、これはなんとか、これはかんとか」
などといっている。型が、ヒンドゥー神それぞれの象徴の形になっているらしい。値段は売る子によって、5ドルというのも、3ドルというのも、100ルピーというのもあり、てんでばらばらだ。しかし、こればかりはいくら粘られても買う気はしない。私の買い物のモットーは「使わないものは買わない」ということだ。物は使われるのがその使命と考えているからだ。
男の子(なぜかこれを売っているのは男の子ばかり)をようやう向こうに行かせると、今度は「供物売り」の女の子がさっと寄ってくる(こっちは女の子だけ)。ぶかぶかのワンピースを着て、手にはかごをもっている。かごの中身はガンガーへの供え物である。葉っぱで作った皿に花とロウソクがのっている。ロウソクに火をつけて川に流すのだ。
と、ただでさえうるさいところへ、いきなり牛が喧嘩をはじめた。気の立った雄牛のようだ。バラナシは、野良牛がたくさんいるが、喧嘩は見たことがなかったので驚いた。見たことがなかったといえば、ガートでクリケットに興じている若者もそうだ。去年は見なかったように思う。バット状のものをもっていたので草野球かと思ったら、聞くとクリケットだという。最近の流行かもしれない。

ターリを食べて寝てしまおう

ガートで、日中オートリキシャに乗ったまま離れ離れになってしまった2人組に会うことができた。とくにトラブらず、ホテルについたとのこと。よかった。
一緒にメインロードでターリを食べた。ターリはインドの定食の1つで、野菜カレーに、豆のスープ、つけものにごはん、あとチャパティという小麦粉製のうすいパンのセットだ。これで14ルピー。おいしい。いずみちゃんと、男性2人組の1人は疲労と頭痛を訴えてあまり食べられなかった。昨日からの旅の疲れと、暑さのせいだろう。私の方はテンション全開で肉体的な疲労は感じていなかったものの、午後ずっと人と一緒にすごしたために、気疲れしてしまった。
ホテルにもどってシャワーを浴び、10時前に眠りについた。

4月27日

「メニー、メニー、モクヨク(沐浴)ピープル」

5:00起床。
ガンガーの日の出が5:30と聞いていたからだ。見通しが甘かったようで、起きて支度をしてガンガーについたらもう明るかった。夜明けは明日見よう。
ガートには、ヒンドゥー教徒の沐浴を見物にきた日本からのツアーの客の一行がいた。やはりバラナシの沐浴は見どころの1つなのだろう。
ぶらぶらしていると日本人の女性がボートをシェアしないかと言ってきた。男性を連れている。4人で1時間100ルピーというから、いずみちゃんを探して連れてきた。
ボートマンは有名なマニカルニカガート(火葬場がある)のほうではなく、反対方向の小さい火葬場まで行って引き返すという。そのほうが「メニー、メニー、モクヨク(沐浴)ピープル」が見られるのだそうだ。「モクヨク」という日本語はこの界隈で知れ渡っているらしい。
ボートに乗って、川からガートを見る。凝った建築の寺院や、巡礼宿が立ち並んでいる様子は、やはり見事である。巡礼宿は、昔の金持ちが建てた物だそうだ。中には王様が立てさせた寺があったり、もとは王様の物だったのを某ホテルのオーナーが買い上げた建物があったりするらしい。ガードは全部で62あり、それぞれに名前が付いている。そのなかの特に5つは重要なガートということだが、名前は忘れてしまった。
ボートから水面を見る。透明度ゼロの緑色。この下にあらゆるものが呑み込まれているのだと思うと、畏怖の念が湧く。水に触れてみる気は起きない。
この水の中に浸かっている「モクヨクピープル」は、厳かな宗教的儀式を行っているというよりは、どちらかといえば年中行事を楽しんでいるように見える。女性はサリーのまま、男性はふんどし一丁とか、パンツ一枚で沐浴している。沐浴の作法もあるようだけれども、クロールで泳いでいる人もいるし、仰向けで浮かんだままの人もいる。ガートでは歯磨きやら洗濯やらをしてる人もいる。あまりタブーがないから楽しそうに見えるのかもしれない。
30分ほどで火葬場の前まで来た。マニカルニカガートは薪を使って遺体を焼くが、こちらの火葬場は電気式だそうだ。マニカルニカガートで故人を荼毘に付すにはかなりの額のお金が必要なので、貧しい人はこちらの火葬場を使うとのこと。
そこから元の場所に引き返した。ボートを降りて時計を見ると、乗ってからきっかり1時間たっていた。支払いの時のもんちゃくもなし。このクルーズは当たりだった。

露店で買い物

ダシュシャメロードガートをあがったところにある露店で、アクセサリーを買った。ブレスレッド2ダース、ネックレス1本、アンクレット2本で110ルピー。ブレスレッドを試着しようとしたら、露店商のオニイサン(若くてカッコよかった!)が次から次へと付けてくれたのだ。24個も付けたブレスレッドは圧巻で、腕を動かすときらきら光り、たいそう華やかでうれしくなった。
インドの女性にとってアクセサリは大切なもののようだ。貧しい身なりの女性でも必ず何かしら身につけている。物乞いをしている人の腕にもちゃんとブレスレッドがはめられていたりして、感心する。
アクセサリもステキだけれども、サリーといい、パンジャビドレスといい、インドの女性が着る物は本当に美しい。アクセサリを買うと、自分のシャツとジーンズにキャップという格好がいかにもヤボッタク思われて、ぜひともパンジャビドレスを買おうと心に決めた。

<後編>へ続く

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